聖書各巻緒論(32) 預言書(10) 
説 教 題:「忍耐される神の愛」       井上義実師
聖書箇所:ヨナ書4:1~11

 聖書各巻を1回ずつ開いてきました。旧約聖書の最後は預言書が続きますが、預言書の10番目がヨナ書になります。他の預言書に比べてヨナ書はとても特徴があります。ヨナ書を通して、預言者ヨナの心の動きを知ることができ、私たち個人の信仰を考えさせられます。ヨナを導かれた神様の取り扱いを見ることができます。とてもドラマチックな話で、CSでも良く話をする箇所になります。

Ⅰ.ヨナ書の特徴


 最初にアミタイの子ヨナとあります(1:1)。列王記第二14:25には同じ名前が記されています。もちろん、同一人物と受け止めて、時代は北王国イスラエルのヤロブアム2世の時代になります。従って、ヨナの時代は紀元前8世紀、神様から与えられた使命はイスラエルの敵国、アッシリア・ニネベに遣わされました。
 ヨナ書は他の預言書と大きな違いがあります。他の預言書では神様が語られた言葉、預言者に託されたメッセージが中心に記されています。所が、ヨナ書での神様が託されたメッセージは、ヨナがニネベの人たちに告げた、「あと40日すると、ニネベは滅びる」(3:4)だけしか残されていません。ヨナ書に記されている内容はヨナの行動、ヨナの体験が殆どなのです。預言書というよりは、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記のような個人の体験を通した歴史書に近いものがあります。

Ⅱ.ヨナの信仰

  

 ヨナ書には劇的なストーリーがあります。子ども向けの絵本、紙芝居の背景にはクジラ、カルデア風の古代都市が描かれていることが多いでしょう。ヨナの物語において、ヨナの行動・心理等を【】カッコ内に短くまとめました。
1)ヨナは神様に召され、敵国アッシリアの大都市ニネベに悔い改めの使信を語ることを命じられました。しかし、ヨナは神様の御心に背いて、ヤッファから地中海を渡っていく、当時の地の果てタルシシュ(現在のスペインと言われる)行きの船に乗り込みました。【神様への背信】=不信仰
2)突然の大嵐となりました。悪いことをした人に対して、神様が怒られていると船員は思いました。そこで、誰が原因かを知るためにくじを引くとヨナに当たりました。ヨナは神様に背いた責任を感じ、自分を海に投げよ、そうすれば海は静まると言いました。人々は何とかしようとしましたが、嵐は治まらずヨナは海に投げ入れられました。【罪を告白し認める】=信仰
3)神様はヨナのために大魚を備えられていました。ヨナはこの魚に飲みこまれて、3日間魚の体内で過ごします。ヨナは魚の腹の中から、悔い改めの祈りを神様に祈ります。【神様への悔い改め】=信仰
4)3日後、魚に吐き出され、救けられたヨナは神様に従いました。神様の命に従って、ニネベの町で神様の裁きを語りました。神様からのメッセージに王様から僕まで、ニネベの町の人たちは身を低くして祈りました。【神様への服従】=信仰
5)ニネベに大いなる悔い改めが起こりました。ニネベに神様のリバイバルが起ったのです。しかし、ヨナはこれを喜びませんでした。あろうことか、ヨナは神様に不平を言います。滅びるとの神様のメッセージが覆されました。ヨナは敵国の救いを望んでいなかったと考えられます。どんな理由があったにせよ神様の救いが表わされたことを喜べないヨナは預言者失格と言って良いでしょう。【ひねくれて逆上する】=不信仰
6)ヨナは町外れでニネベの様子をうかがいます。一夜で生えた唐胡麻の日陰をヨナは喜びました。しかし、唐胡麻は翌日には枯れてしまいました。このことにヨナは大変怒ります。一本の唐胡麻から神様はヨナを教え諭されました。小さな唐胡麻が枯れたことをヨナは惜しんで怒っているが、都市であるニネベに住む12万以上の民が罪によって滅びることを神様は惜しんでおられることを教えられました。【神様の愛の深さを知る】=不信仰から信仰へとの導き
 ヨナは神様の御心に反してタルシシュへ逃亡を企て、ニネベの救いを喜ばない良くない思いを持っていました。
 

Ⅲ.ヨナへの取り扱い


 ヨナは預言者として召されていました。神様が与えられた特別な使命ですし、神様が求められている高度な要求を満たしていかなければなりません。どんな厳しい状況でも神様の御心に従っていったエリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルらの姿から明らかです。ヨナは余りにも人間的、感情的です。失敗を繰り返してしまいました。神様から裁かれても仕方ないと思える程でしょうが、神様は忍耐されてヨナを導かれ続け、預言者としての働きを続けさせられます。

 私たちも、神様を信じ従っていても、罪を犯し、失敗に陥ることがあります。イエス様の弟子たちを考えてみても、イエス様がゲッセマネで捕えられた時はどうだったでしょうか。ペテロは後ろから付いて行っても、大祭司の中庭でイエス様を3度知らないと否みました。他の10人の弟子たちはゲッセマネから逃げ出しています。イエス様は復活後、ガリラヤ湖の漁の後で、ペテロに親しく声をかけられました。3度私を愛するかとペテロに尋ねておられますが、イエス様はペテロの回復を願われてそのようになさいました。
私たちもヨナのように、ペテロのように神様の御心に反し、御心を傷つけてしまうことがあるかも知れません。信仰の歩みの中で、罪を犯してしまう危険性はあります。ヨナを忍耐深く導かれた神様、ペテロを再び立ち上がらせたイエス様は私たちの信じる御方です。私たちは神様の愛の中に守られ、保たれています。

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。」(ヨハネ第一4:18)。