聖書各巻緒論(34) 預言書(12) 

説 教 題:「この世の都への宣告」       井上義実師

聖書箇所:ナホム書1:1~11

 2023年の第2回の礼拝となりました。今朝は聖書各巻の緒論を語ります。旧約聖書の最後の区分になる12小預言書の7巻目ナホム書となりました。3月末までに旧約聖書39巻を終えて、4月から新約聖書に入る予定でいます。

Ⅰ.アッシリアへの復讐:旧約聖書では

 ナホム書は短い3章の預言書です。礼拝ではなかなか開かれない聖書の書巻でしょう。ナホム書の主題は1:1~2に表わされています「ニネベについての宣告。エルコシュ人ナホムの幻の記録。主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。」

内容はアッシリアの首都ニネベの滅びについて記されています。ニネベと言えば、預言者ヨナの宣教によって悔い改めが起りました(ヨナ書3:5)。ナホム書は、ヨナによる宣教から100年後と言われます。その間に、ヨナが伝えた信仰は失われていました。ニネベには流血、強盗、戦争、乱行が満ちていたことが出てきます(3:1~4)。アッシリアは好戦的な横暴な人々でしたし、道徳的にも低い基準しか持ち合わせませんでした。

神様は救いが語られ、神様に一時的に立ち返ったとしても信仰を持ち続けず、イスラエルを苦しめたニネベを裁かれました。アッシリアは新バビロニア帝国とメディア帝国によって滅ぼされます。ニネベは紀元前612年に陥落し、世界史から消え去りました。このことが2章に預言されています。神様は決して残虐非道を放任されているということではありません。神様は悪しき者が悔い改めて、正しい心を持つことを願われて忍耐をされています。どうしても実力行使が必要な場合に動かれるのです。 

Ⅱ.敵への復讐:イエス様の教えは

 旧約聖書の教えでは他者から被害を受けた場合、同じ報復ができるとされていました「目には目を、歯には歯を」(レビ24:19~20)。現代の私たちには何と残酷な話だろうかと感じます。これは傷つけられたという怒りの感情に身を任せて、エスカレートを起こさせないようにという配慮でした。しかし、イエス様はこの教えを否定されています。「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」(マタイ5:38~39)という有名な言葉を残されました。さらに、「だれに対しても悪に悪を返さず、…すべての人と平和を保ちなさい。…善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:17~21)につながります。

私たちが悪に報復しなくて良いのは、神様が代わりに怒りをもたれ、復讐し、報復を行うからです。私たちが悪に対して気をもむこと、私たちが立ち上がって戦う必要もありません。復讐、報復は神様に委ねること、敵に善さえも行うこと、そのことによって悪に打ち勝つことが記されています。Cf.キリスト者ではなかったがマハトマ・ガンディーはインドの独立を、M・L・キング牧師はアメリカ黒人の公民権を得ていったのです。 

Ⅲ.悪への最終的な復讐:救いの完成の日に

 ガンディーは植民地主義のイギリスに、キング牧師は人種主義者のアメリカ指導者に非暴力で抵抗しました。私たちの周囲にも憎しみや争いがあるでしょうし、そのような思いに時に囚われることもあるかも知れません。報道のニュースでは、何ゆえなのかと思う酷い出来事、凶悪な事件が、残念ながらいつも起こります。世界に悪の力は大きく働いていることを覚えます。神様は小さな事柄から、大きな罪悪まで悪を放置されているのでしょうか。聖書を通して歴史を見れば、イエス様が種をまかれた神の国は前進を続けていますが、悪魔を含めた悪の力も大きく働いています。

イエス様はマタイ13:24~30で天国のたとえとして、畑の良い麦に毒麦が混ざってしまった話をされました。成長の途中では見分けがつかないので、毒麦は収穫時に集めて焼かれてしまいます。この話の収穫は世の終わりを指しています。終末が来るまで神の国は成長しますが、悪の働きも大きくなっていきます。しかしながら、最後に滅ぼされるのは悪ですし、神の国の勝利が示されています(黙示録17~18章を参照)。神様は悪に対して断固とした姿勢をとられ、悪を許されはしません。

 私たちは周囲の悪に目が止まります。私たちは悪に関わることなく、平和を求め、十字架の福音を伝え、御言に立ち続け、周囲に神様の愛を示し続けていく者でありましょう。それが永遠を目指していく私たちの姿勢なのです。