説 教 題:「メシア預言の成就」  井上義実師
聖書各巻緒論38・預言書16
聖書箇所:ゼカリヤ3:1~10

 2022年度の最後の月になりました。1回ずつ、続けてきました聖書各巻緒論も、本日のゼカリヤ書、26日のマラキ書で旧約聖書を終えます。旧約聖書最後の12巻に当たる小預言書は余り注目してこなかったのですが、改めて意義深さを感じています。
説教計画は一つのテーマに絞らずに広く取り上げたいと願っています。2022年度も4つのテーマで進めてきました。4月から聖書緒論は新約聖書27巻に入ります。聖書各巻について最低限、知っておいていただきたいことを語ってきました。例えば、聖書は長い歴史と、中近東を中心にした広い地域が舞台となります。歴史については時間が進んでいく縦軸と言えるでしょうし、地理については空間の広がりを持った横軸と言えるでしょう。歴史上の事実、地理上の事実は、聖書の各巻を受け止めていくために、漠然としてではなく時間と空間を意識して捉えていくことができます。

Ⅰ.ゼカリヤの時代


預言者ゼカリヤの働きは、前回のハガイ書に出てきますハガイの少し後から始まります。ハガイよりも長く神様の働きを進めました。ユダヤの民はバビロン捕囚から解かれて、バビロンから故国イスラエルに帰還を果たしました。帰還したユダヤの民は破壊されたエルサレム神殿の再建にとりかかります。しかし、周囲からの妨害にあって神殿再建は基礎工事だけで止まってしまいます。神殿再建は16年間もの間、中断したままでした。神様はハガイを通して宣告されます「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」(ハガイ1:4)。ハガイが告げ知らせた神様の言葉によって工事は再開されます。


ゼカリヤはハガイと同時期に、共に主の言葉を伝えていきます。エルサレムの神殿、城壁の再建、イスラエルの復興の時期は特に共同の働きがなされたことを覚えます。神の言葉を伝えたハガイ・ゼカリヤ、霊的な指導を行ったネヘミヤ・エズラ、実際的な指導者の働きを担ったゼルバベル・大祭司ヨシュアらがそれぞれに主の働きを担いました。預言者であるハガイが神殿再建の1点集中の直截な使信を語りました。同じ預言者であってもゼカリヤの使信はより広く、多くの内容を含んでいます。

Ⅱ.ゼカリヤ書の内容


 ゼカリヤ書はその内容から大きく2区分することができます。前半となる1から8章は同時代へのメッセージ、後半となる9から14章は未来へのメッセージになります。ゼカリヤ書は悔い改めのメッセージから始まります「『万軍の主はこう言われる。あなたがたは悪の道と悪しきわざから立ち返れ。』しかし、彼らはわたしに聞かず、わたしに耳を傾けもしなかった。」(1:4)。神殿工事はハガイによる宣言で再開されましたが、ゼカリヤはユダヤの民の根本にある不信仰を指摘します。


8章には神殿の完成を越えて、神様の祝福の約束が語られています「それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木が実を結び、地が産物を出し、天が露を滴らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。」(8:12)。ゼカリヤは神殿再建の時期に主に仕えましたが、ゼカリヤが見たものは遠い未来に及んでいきます。

ゼカリヤに授けられたこれらの言葉は、ゼカリヤの時代を越えてメシア・救い主イエス様の到来、やがて起こる終末にまでつながっていきます。ゼカリヤ書は救い主イエス様の到来、完成者である再臨のイエス様が主役となるヨハネ黙示録と深い関連があります。黙示録を記したヨハネはゼカリヤ書によく通じていたことは事実でしょう。

Ⅲ.ゼカリヤ書のメシア預言


 ゼカリヤ書のメシア・救い主の預言は3章以外にも多く出てきます。
6:12・13「一人の祭司」はイエス様を指しています
9:9「柔和な者で、ろばに乗って」はエルサレム入城の預言。
11:12・13「銀三十…陶器師に投げ与えた。」ユダの裏切り。
12:10~14「自分たちが突き刺した者」イエス様の十字架。
13:1「一つの泉」命の水を与えられるイエス様。
13:7「羊飼いを打て。」イエス様による引用、マルコ14:27。
14章全体は主の日の戦い、完成を表しています。


今日開かれてきました3章は「しもべ、若枝、置いた石」がメシアを指しています。特に石に7つの目がある(3:9)とは、ヨハネ黙示録5:6の屠られた小羊が「7つの角と7つの目を持っていた。」とつながっています。7つの目は御霊を指しています。黙示録5:6は黙示録の中で、イエス様を指している屠られた小羊が最初に出てくる重要箇所になります。黙示録では屠られた小羊である、再臨のイエス様こそ、神、王、牧者、審判者なのです。ゼカリヤ書と黙示録のつながりはとても大切です。
 
 ゼカリヤは神殿再建の時代に主に仕えました。彼の霊的な目は、捕囚から後のイエス様が誕生されるまでの中間期、この時期のユダヤの民の堕落を見ていました。やがて、時が満ちて、全てを改めるメシア・イエス様の誕生の時がやってくることを仰いでいました。遠い未来に、イエス様が再び来られ、完成へと導かれる終末を見通していました。私たちも目の前の心配や戦いもあります。しかし、全てを越えて主の圧倒的な、大いなる業がなされる主の日、救いの完成を待ち望んでいましょう。私たちの救いの完成の日であり、主の祝福を心から喜ぶことができるように備えていきましょう。