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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:宇田川純一兄  奏楽:藤村陽子姉

前 奏                     奏 楽 者
開会唱     聖366        聖 歌 隊
招 詞     ヨハネ3:16~17      司 会 者
賛 美     新209(聖ナシ)       一   同
主の祈り    新826頁     〃
祈祷唱     聖373(新ナシ)         〃
使徒信条    新826頁     〃
交読文     17(詩篇第46篇)892頁(新改訳)  〃
祈 祷                       司 会 者

賛 美     新233(聖229)            一   同
合 唱     「うるわしの白百合」        聖 歌 隊

聖 書     マタイ8:5~13         松下真由美姉
説 教     「信じた通りになる」        井上義実師
祈 祷                       一   同

賛 美     新349(聖ナシ)         一   同
献 金
献金唱     聖378(新ナシ)       〃
感 謝                       当   番

頌 栄     新63(聖383)             一   同
祝 祷                       牧   師
閉会唱     聖389(新ナシ)         聖 歌 隊
後 奏                       奏 楽 者
報 告                       司 会 者

Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。

https://www.youtube.com/live/j6sl9qnTX_Y

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

ウエルカム礼拝
説 教 題:「信じた通りになる」井上義実師
聖書箇所:マタイ8:5~13

 今年から毎月第三週を基本にウエルカム礼拝を行います。新しく来てくださっている方々に分かりやすいお話をするように心がけます。

イエス様は多くの言葉を、ただの言葉ではなく力と権威を持って語られました。この箇所のすぐ前のマタイ5~7章は山上の説教と呼ばれています。とても内容の濃い説教です。その後、イエス様が山から下られ、貧しさ、病、苦しみのある世界で実際の働きに携わられる姿が出てきます。

Ⅰ.百人隊長の人となり

 その続きになる8章前半は3つの癒しの話になります。ハンセン病患者の癒し、ローマ軍の百人隊長の僕の癒し、ペテロの姑の癒しです。

2千年前のユダヤの社会ということを考えなければなりません。ツァラアトと書かれていますが汚れた病にかかっていたとされていた人たち、ローマ軍の百人隊長はユダヤ人から見るならば外国人、女性が登場します。それぞれが、2千年前のユダヤの社会で差別を受けていた人たちになります。

ローマの百人隊長の話を見ていきましょう。今、現代では聖書は全世界で知られ、読まれています。キリスト教は世界大の宗教となっています。

しかし、当時は聖書も、聖書を記された神様も、イスラエルの狭い世界のものでした。ユダヤ人以外は詳しくは知らなかったと言えます。その意味では、ローマの百人隊長は神様から遠かったとでしょう。

ユダヤのカぺナウムに駐留していた百人隊長は、イエス様のことを聞きました。その言葉には力があり神様の愛を示し、病の者を癒し、弱い人を力付け、誰にも隔てなく接している御方、イエス様のことを知るにつれただの人ではないと思っていたのでしょう。

部隊の大事な僕が重体になり、イエス様ならば何とかしてくださるという思いでイエス様の元にやってきました。百人隊長は軍隊という厳しい世界で一人の僕を大切にし、イエス様に対して丁寧に話をしています。百人隊長は立派な人格を持った人であったことが分かります。

Ⅱ.百人隊長の信仰

 百人隊長は人格的に優れた人でしたが、それ以上の素晴らしいものを持つ人だったことが分かります。百人隊長は「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。」(8節)と言っています。

この言葉は神様の前に、自らを低くする言葉です。この言葉は神様の大きさを良く知り、自分の小ささを良く知った上でなければ出て来ることのできない言葉です。イエス様はこの人に対して「わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。」(10節)と言われました。

人は誰かを判断するのに、見た目、言葉、行い等で判断しやすいものです。この場にいたユダヤ人たちは、外国人で武装した百人隊長を信仰深いとは誰も思わなかったのではないでしょうか。イエス様は、人には見えない心と魂をご覧になっておられ、人の内にあるものを評価される御方です。

Ⅲ.百人隊長への答え

この世の評価は、小学校の通知表に始まって以来、見えることがらで成り立っています。人間は、そのような面でしか客観的に評価できないとも言えます。また、私たちは見えることだけで評価されたくない、もっと私そのものを評価してほしいという思いもあります。

この世の評価で、何時も傷つく思いをされている方もあるだろうと思います。神様はこの世の評価で判断されるような方ではないことをイエス様は表してくださっています。当時のユダヤ社会で差別された外国人の百人隊長を喜んで受け止められました。

イエス様は「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」(13節)と百人隊長を送り出されています。イエス様は百人隊長の持つ神様への信仰を喜ばれ、その願いが自分のためではなく、他者のためであったことを受け止められ、大きな奇跡をもって答えてくださいました。

神様が私たちをご覧くださっているのは、私たちの心と魂です。目に見える部分の評価ではなく、目に見えない部分の評価なのです。誰もが心と魂を神様に向けることができます。神様は喜んでご自分に近づこうとされる者を受け止めてくださいます。この神様の愛に私たちは生かされましょう。

 

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