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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:藤村侑兄  奏楽:藤村陽子姉

前奏              奏楽者
開会唱             聖366     聖歌隊
招詞              へブル1:2~3 司会者
賛美              新8(聖ナシ)  一同
主の祈り    新826頁     〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)  〃
使徒信条    新826頁     〃
交読文             4(詩篇第18篇)881頁(新改訳)〃
祈祷       司会者

賛美              新281(聖538)          一同
合唱              「主のふところに」   聖歌隊

聖書              詩篇23:1~6        玉田基兄
説教              「主は完全な羊飼い」  井上義実師
                信仰の継承8雪のように白く4
祈祷                                  一同

賛美              新434(聖525)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                  牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「主は完全な羊飼い」井上義実師
聖書箇所:詩篇23:1~6

 先週は新年聖会が開かれ、豊かな恵みと霊的な整えをいただきました。今朝は詩篇23篇から、良い羊飼いであるイエス様「私は良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)を間近に拝していきましょう。

Ⅰ.良い羊飼いであるイエス様

家畜は人の手を借りずに野生で生きることは難しいことですが、特に羊の場合はそうです。羊は自分で、草や水のありかを探すことができません。自分の毛が伸びると、誰かに刈ってもらわないと生活することができません。

野獣が襲って来ても、足が遅くとても逃げられません。敵に向かっていく鋭い角や噛みつく牙はありません。羊飼いが大切に守り、養い、世話をしなければ生きていくことはできません。守られなければならない弱い羊に私たちは例えられています。

神様の助けなどなしに自分一人で歩めると言う人は多いのではないでしょうか。しかし、私たちが人生の途中で、自分の限界や無力を感じ、もうダメだと思うことは起こってきます。本当に自分だけで生きていくことができるのでしょうか。

イエス様は良い羊飼いです。良い羊飼いは一匹一匹の羊を良く知っています。羊のために緑の青草、憩いの水辺へと連れて行きます。羊を守って野獣と戦い、盗人から命がけで助けます。良い羊飼いは一匹一匹の羊を心から愛して行動します。私たちへのイエス様の限りない愛が表されています。私たちは、イエス様に信頼し切って、イエス様の後に従って行けば良いのです。

Ⅱ.必要を備えられるイエス様

良い羊飼いイエス様は私たちを守り、助け、顧みてくださいます。しかし、エゼキエル34章はイスラエルの祭司や指導者が悪い羊飼いであると述べています。弱った羊を強めず、病気の羊を癒さず、傷ついた羊を介抱せず、追いやられた羊を連れ戻さず、失われた羊を捜さないとあります(エゼキエル34:4)。

しかし、イエス様は正反対に、良いもの素晴らしいもので満たしてくださいます「私の杯はあふれています。」(5節)。イエス様の備えは不足しません。丁度ぴったりでもありません。100パーセント以上に、あふれるばかりに備えてくださっています。

ローマ8章を読むと、イエス様は私たちがどんな困難の中にあったとしても、私たちを勝ち得て余りある勝利者としてくださいます「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」(ローマ8:37)。私たちは羊のようであり、無力なものですが、イエス様の絶大な力によって圧倒的な勝利をいただくことができます。

私たちへのイエス様の限りない顧みが表されています。私たちは無力で何もできなくとも良いのです。私の代わりに、勝利者イエス様が働いてくださいます。

Ⅲ.輝きを与えられるイエス様

家畜もペットも人の世話を受けています。飼い主からの愛情と食べ物が与えられ、生活の環境が良い状態であるならば、健康で満ち足りています。飼われている生き物たちが恵まれているなら、毛並みの色つやも、体も太って、顔色や血色がよいのです。

私たちは良い羊飼いであるイエス様から離れていては、どんなにこの世の良い物に満たされていても、霊的な意味では貧しい者、乏しい者なのです「あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。」(ペテロ第一2:25)。

良い羊飼いであるイエス様の元にあるならば、イエス様の恵みによって、霊的にも信仰的にも満ち足りた、内にある輝きに満ちた者となることができます「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」(ペテロ第一1:8)。

教会外の人たちにあなたは何かが違う、あなたにあるものが欲しい、と言われることが信仰者にとって最も大きな証しであり、感謝なことではないでしょうか。そう言われることは決して特別なことではありません。イエス様を信じる全ての人は、天におられる神様につながっているのですから、そう言われて当然なはずです。

「ペテロは言った。『金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。」(使徒3:6)。私たちは、私の前におられる良い羊飼いであるイエス様に導かれます。同時に私の内におられ私を満たしてくださるイエス様は一つなのです。私の内外に共におられるイエス様に持ち運ばれていく歩みをしようではありませんか。

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