前奏                                      奏楽者
招詞              創世記1:1~3司会者
賛美              新1(聖477)                一同
主の祈り    新826頁            〃
祈祷唱     聖373(新ナシ)            〃
        信仰告白日本イエス・キリスト教団信仰告白〃
        (本日は使徒信条は告白しません)
交読文1(詩篇第1篇)879頁(新改訳)     〃
祈祷                                      司会者

賛美              新521(聖ナシ)       一同

聖書              申命記11:8~21  五領保子姉
説教              「絶えることのない恵み」井上義実師

祈祷                                      一同

賛美              新338(聖596)          一同
献金
献金唱     聖378(新ナシ)            〃
感謝              当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                      牧師
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

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説 教 題:「絶えることのない恵み」井上義実師
聖書箇所:申命記11:8~21

新年のご挨拶を申し上げます。2023年は元日が聖日であり、新年礼拝でもあることを感謝いたします。昨年も世の中を見渡しますと、立場の有る無しに関わらず、不正が横行し、逸脱がどこにもあり、凶悪事件は絶えることはありませんでした。世界的パンデミックやウクライナでの戦争も大きな影を落としますが、人の心の乱れにも終末を感じます。

世界のどこでもと言えるのでしょうが、日本に生まれた私たちは元旦に身を正す思いを持ちます。年の始めに神様の前に身を正すことを願いながら、元旦礼拝ではしばらく箴言を語ってきました。道徳的、倫理的なメッセージは普段は余り語りません。本年は律法の書の最後の申命記が開かれてきました。出エジプトの時代、神様はモーセを通して語られましたが、申命記はモーセの最後の説教となります。

1.本年も神様の使信を覚える

申命記は律法の締めくくりになりますし、神様が神の民に求められた使信の要約となります。旧約聖書の中でも重要な書物であることに気づかされます。

イエス様は、旧約聖書の律法で第一の戒めは、全力で神様を愛すること、第二の戒めは自分のように隣人を愛することを繰り返し語られました。「イエスは答えられた。『第一の戒めはこれです。【聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。

あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。】 第二の戒めはこれです。【あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。】これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:29~31他)

第一の神様を愛することは申命記6:4~5からの引用です。第二の隣人を愛することはレビ記19:18からの引用になります。隣人を愛することは、律法全体に、もちろん申命記にも思想として流れています。

ユダヤ人の家庭教育で朝夕唱えられる「シェマー」は申命記6:4~9、11:13~21、民数記15:37~41が定められています。聖書全体の強調点がここにあるのです。

2.本年も神様の語りかけを聞く

今朝の聖書箇所は「あなたがたは、私が今日あなたに命じるすべての命令を守りなさい。」(8節)から始まります。「今日~しなさい」という語法は申命記中61回に及びます。新約聖書に照らすならば、へブル3:7~8「ですから、聖霊が言われるとおりです。

『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。』」、3:13「『今日』と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。」になります。

神様からの個人的な語りかけを聞いたならば、明日でも、明後日でもなく今日、今すぐに良い意思を実行するように神様は願われています。私たちは言い訳をしやすい者ですし、忘れてしまいやすい者です。神様を第一にする、大切にする姿勢を持ち続けましょう。

3.本年も神様の祝福をいただく

神様からの使信は「もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令」(13節)です。全力で主を愛するということが語られています。

他の神々や、主に取って代わる他のものが、神様と私たちの間に入り込む隙間はありません。このようにモーセの最後に当たって、神様は語られました。次の指導者ヨシュアは最後に、主に仕えるのか、他の神々に仕えるのか明らかにせよと、民に語りました。

民は主に仕えますと繰り返し答えました。しかし、すぐ後の士師記が記すようにイスラエルの民は、早々と他の神々を持ち込んで仕え始めました。

真の神様に仕えていくためにはどうしたらよいのかを申命記は語っています。主の言葉を心と魂に刻む(18節)のです。書き記すための媒体は時代と場所で変わりました。石板、粘土板、木簡、羊皮紙、紙、フィルム、セルロイド、ディスク、メモリ… これらは壊れ、失われてしまいます。人格に結び付いた心と魂に刻まれたものは永遠に残ります。

手に結び付け額に記しを付ける(18節)ことは、片時も身体から離さず目で見、思い起こすためです。子どもたちに教える(19節)ことは、神様の祝福が受け継がれ、広げられていくために欠かすことのできないものです。

家の門口に書き記す(20節)ことは、家を出る時に心に留め、家に帰る時に感謝をもつためです。
これは日々、全ての時間に神様を覚えるために、神様から離れないためにあることです。私たちはこれらを聞くと、そのような束縛を受けたくないと感じます。実際にもそのようなことは行っていません。

ユダヤ人のように行っていないのは、イエス様がインマヌエルの神、「神が私たちとともにおられる」(マタイ1:23)としてお出でくださったからです。たとえ私たちが神様を忘れ、神様から離れようとしても、イエス様が私たちと共におられるのです。

この年も私たちが神様と共にあること、私たちの日々の歩みの祝福は、神様の約束の地、乳と蜜の流れる地にある祝福なのです。「そこは、あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。」(12節)

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