説 教 題 「わが生涯を支えた神のみ言葉」
聖書箇所 ヨハネ15:12~17

 約2年前の3月20日に引退記念説教として同じ箇所を用いて「受身の信仰」についてお話ししました。その際は個人的なこともお話しました。本日の主題は「わが生涯を支えた神の約束のみ言葉」です。
 聖書66巻、すべては神の言葉であり、神の約束の言葉です。しかし、大谷選手や照ノ富士が、自分の「決め球」や「かたち」を持っているように、私たちも「わが生涯を支えた神のみ言葉」を持つべきではないでしょうか。
 改めて本日の中心聖句を見ることにしましょう。
 「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」(ヨハネ15:16)

Ⅰ.神の選びと任命


 いずれの場合でも「選ばれる」ことは喜ばしいことであり、名誉なことです。そうした中で「神に選ばれる」ということは、次元の異なる世界での話であって、その経緯については簡単には理解することはできません。
 1.神の導き
 私がこのみ言葉に触れたのは、恩師澤村五郎でも小島伊助でも三島常夫でもありませんでした。私をこの聖句に導いたのは目の不自由な三島常夫先生が書かれた独特の毛筆の掛け軸でした。先生を訪問する際にこの聖句が目に入り、心に焼き付いたのです。そうしている間にいつの日か私の救いの聖句となり、献身の聖句となり、そして生涯の聖句となりました。
 2.スポルジョンの体験
 次にイギリスの著名なバプテスト派の牧師であるC・H・スポルジョンの体験を紹介します。彼は牧師であると共に 伝道者、説教者として教団教派を越えて影響を与えた人物であり、「講壇のプリンス」と呼ばれています。彼は 1834年6月19日誕生、1892年1月31日召天、僅か57年の生涯でした。彼は1852年に18才の若さでウォータービーチのバプテスト教会で牧師に就任しました。その最初の一年で会員10人の教会が400人の教会に成長しました。彼の救いの体験に次のような逸話が残っています。
 彼は1850年1月6日、大雪の降る日曜の朝、教会にたどり着けない牧師に代わって講壇に立った一人の執事の説教によって救われました。執事はしどろもどろになって「われを仰ぎのぞめ、さらば救われん。仰げ!仰げ!」(イザヤ 45:22)と必死になって叫びました。その時15才の少年は、ただ「みことば」を信じ、「主を仰いで」救われたのです。今も、かつての雪の朝、彼が占めた古い教会の座席の傍らの壁に1枚の碑文が飾ってあります。
 「まさにかの朝、階下に座せる少年は回心した」と。
 私たちが宣べ伝えるのはキリストであり、仰ぎのぞむのはキリストです。そして主を仰ぎのぞむ時に人々は救われるのです。
 3.神の任命
 私はこの聖句を通して救われると共に、献身の召命も同時に受けました。しかし、この言葉は決して献身者のためのみ言葉ではありません。神はすべてのキリスト者をキリストの証人として選び、そして任命されました。ですから私たちは生涯かけてキリストを証し、実を結ぶ責任があるのです。具体的には「福音の宣教と教会の建設」です。教会は「神のからだであり、神のいのちを宿す」存在です。そのような存在である教会の勤めは「教会を生み出す教会」となることです。教会は命あるものです。命ある教会は子教会、孫教会を生み出すというビジョンをしっかりと抱かなくてはなりません。

Ⅱ.実を結び、実が残る。


 私が最初に派遣された教会は、岡山県と兵庫県と鳥取県の三つの県境に位置する大原教会でした。大原町は岡山県ですが、経済圏や人の流れは兵庫県であり、姫路市、明石市などが一番近い地域でした。そのような訳で、現在の「大久保めぐみ教会」は、大原教会の中心的なメンバーによって建て上げられました。また私の前任の教会である「西宮聖愛教会」は神戸中央教会の西宮在住の数人のメンバーが中心になり生み出されました。さらに、「西宮聖愛教会」から、「宝塚栄光教会」、「伊丹聖書教会」、そして「三田福音教会」が生み出されました。西宮聖愛教会の近くには尼崎福音教会、芦屋川教会、御影福音教会など、西宮聖愛教会よりも歴史が古く、教勢の大きな教会がありましたが、現在は西宮聖愛教会の教勢は前者より多くなっています。確実に救われた人々が家族単位でその信仰を継承しているからに他なりません。西宮聖愛教会は三つの教会を生み出しましたが、それぞれの開拓当初の際には、金銭的な支援よりも人的な支援を優先させました。人が動けばお金も一緒に動くからです。

Ⅲ.父に求める、父は与える。


 聖書は「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」と約束しています。
 私は神学生の1年生と2年生の奉仕教会は湊川伝道館でした。3年生は大阪の放出教会、4年生になって岡山大原教会に遣わされました。大原教会には卒業してから4年間、通算5年間、滞在したことになります。大原教会は初陣の地であり、多くの思い出が詰まっている教会です。宮本武蔵の生まれ故郷として知られた町です。滞在5年目になった時に教会堂建設の話が持ち上がりました。土地は町の中心部に教会員が献げて下さいました。しかし、設計を誰に依頼しようかと考えた時に、教会には設計者を知る人は一人もいなかったのです。そこで私は祈り、願ったところ、当時教会建築で第一人者として知られた「S・N」という方に行き着きました。名前は知ったものの、一度も会ったこともはありません。「若さ」というものは恐ろしいもので、ただ一人で東京まで出かけて事の次第を伝えました。
彼は一度大原を訪ねて下さり、大原の町を「北欧」のような所だと大いに喜んで下さり、快く引き受けて下さいました。北欧風の瀟洒な教会堂が完成したのは、私が大原を離れて一年後のことでした。
 「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」(ピリピ1:6)
 後で聞いた話ですが、設計士が何度東京と大原を往復したかは知りませんが、設計士に支払った対価は僅か10万円であったと伺いました。

 すべて求める者は与えられ、願うことはすべて叶えられました。これらすべてのことは、「わが生涯を支えた神の約束のみ言葉」の成就であることを覚え、主の御名を崇め、感謝申し上げます。