第2回 「放蕩息子を失った神」

聖書 ルカによる福音書15章11節~24節
中心聖句 「『このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。」(ルカ
15:24

 先日ある方から、「シルバー川柳~笑って免疫力アップ~」という紙片を頂きました。そこには川柳23首と共に、添え書きとして「これが笑えるなら認知症はまだまだ先の先です」と書かれていました。私たちはこの添え書きに心を引かれて、最初の「デザートは、昔ケーキで、今クスリ」から、最後の「誕生日、ローソク吹いて、立ちくらみ」に至るまで声を出して読み、久しぶりに大笑いしました。その中で「メモ帳の、しまい場所にも、メモがいる」「忘れ得ぬ、人はいるけど、名を忘れ」「紙とペン、探している間に、句を忘れ」などには大いに共感するところがありました。そして二人して「認知症はまだ大丈夫のようだね」と顔を見合わせて安堵したことでした。

 先回は「福音の本質」を総テーマにして、聖書の中から「ザアカイ」という人物を取り上げ、「失われたもの」という主題のもとで、彼の生涯が「神から失われたもの」、詳しくは「神の愛から失われ、神の聖から失われ、神の命から失われた存在」であったことを記しました。今回は「神から失われたザアカイ」の反対の立場である、「放蕩息子を失った神」に焦点をあてて記すことに致します。

 「放蕩息子の話」は、ルカ福音書15章に記載されている三つの譬え話の中の一つです。一つは失われた羊の話、二つは失われた銀貨の話、三つは失われた人の話です。羊と銀貨の話は「放蕩息子の話」に導くための導入部分として書かれたものです。この「放蕩息子」の話は、「譬えの冠」「福音の中の福音」と呼ばれるほど有名な箇所です。

 譬えとは、「ある物事を別の物事を引き合いに出して表現すること」ですから、物事のすべてを説明することは不可能です。ただ、最小必要限度の解釈は必要ですし、それは許されることだと思います。この場合私は「父は天地を創造された神」「放蕩息子は全ての人間」「兄は先に救われたキリスト者」という解釈のもとで、このお話を進めていくことに致します。

一 放蕩息子の自由意思を尊重する神

 この物語には、人間的な思いからすれば合点のいかない部分がいくつかあります。たとえば母親の姿が見えないこと、弟息子の要求を何の条件をつけないで、さらに堕落する可能性を秘める状況の中で許可していること、兄息子への十分な配慮がなされていないこと、等々です。これらの問題は、この話が譬え話であると言うことを勘案すれば、ある程度容認できる事柄です。しかし、最後の部分は「人間の自由意思」に関わることですので、ここはしっかりと踏まえておく必要があります。このことは創世記の冒頭部分の「人間の堕落」においてすでに提起されている問題でもあります。

 神は人をエデンの園に置かれた際に、命の木と善悪を知る木を置かれました。そして「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬ」(2:17)と注意されました。しかし、エバは「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた」(3:5)のです。その結果、二人はエデンの園から追放されることになりました。

 ここにもいくつかの合点がいかない部分があります。なぜ神は「きっと死ぬ」というような木をエデンの園に置かれれたのか。食べれば神のような命が与えられる「命の木」があるのに、「どの木からでも心のままに食べてよろしい」となぜ言われたのか。さらに人間の堕落は「へびの誘惑」によるものですが、へびはいつから存在したのか、なぜ神はへびの存在を許されるのか、等々の疑問が沸いてきます。神は全能のお方ですから、すべての成り行きはお見通しであることは確かです。様々な人間的な疑問はありますが、神は人間を決してロボットとして創造されたのではなく、自己決定のできる、自由意志を持った存在として創造されたということは確かです。神は人間の堕落を対岸の火事のようにして眺めるお方ではありません。人間の堕落を予知される神は、また堕落した人間の救済の道をも備えて下さる愛の神でもあります。そのあたりの状況を放蕩息子の譬えは見事に描いています。

二 放蕩息子を帰宅を忍耐して待つ神

 「放蕩息子の譬え話」は次のように記されています。

 「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。」(ルカ15:11~12)

 大切な遺産分与の一件が、何の条件や制限もつけることなく、淡々と処理されています。ある人々は息子が放蕩に走ったことの責任の一端は父親の放任主義にあると言います。ある一面そうかも知れません。しかし聖書は、管理主義や放任主義もさることながら、父親は息子たちの自由意志を尊重する方向で進んでいます。

 身代を分けて貰った放蕩息子は、それから幾日もたたないうちに、自分のものを全部とりまとめて遠いところへ旅立っていきました。金があるうちは、ちやほやされたり、慕われたりしますが、金が尽きれば手を返すように人々は冷たくなり、その関係が断たれてしまいます。まさに「金の切れ目が縁の切れ目」と諺にある通りです。彼はついに落ちるところまで落ちて、「豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいという思うほどに」(15:16)落ちぶれてしまいました。その時に幸いにも彼は「本心に立ちかえって言った、『父のところには食物が有り余っている雇い人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。そこで立って、父のところへ出かけた」(15:17~20)のです。素晴らしい展開ですね。

  父親は放蕩息子が親元を離れて行ったその次の朝から一日も欠かすことなく家の門口に立ち続けたのではないでしょうか。そうした愛の待望が、突然返ってきた放蕩息子に出会わせたのです。愛の待望の蓄積こそが、どのような不可能なことをも、偶然の仮説をも必然の事実に変えてしまうほどの大きな、強い力を持っているのです。

 第二次世界大戦が終わった時、、海外残存日本人は660万人以上と言われました。その引揚港の舞鶴港に引揚船が着くたびに、消息不明の子や夫の帰りを待つ婦人たちの姿が見られ、だれ言うとなく「岸壁の母、岸壁の妻」と呼ぶようになりました。一人息子の戦死の報を受けながらも岸壁に立ち続けた端野いせさんもそうした中の一人でした。こうした実話はやがて歌になり、映画にもなりました。その歌詞は「母は来ました、今日も来た、この岸壁に、今日も来た、届かぬ願いと、知りながら、もしやもしやに、もしやもしやに、ひかされて」(藤田まさと作詞・平川浪竜作曲)です。浪曲歌謡歌手・二葉百合子さんのの一曲です。

 後日談ですが、端野いせさんの死去から19年後の2000年8月に、息子の新二さんが上海で生存していたと言う報道がありました。現地を訪れた慰霊墓参団が身分証明書などで確認しました。同団によると、新二さんはシベリア抑留後、旧満州に移送されました。その後、放射線技師として上海で働き、現地で結婚しました。なぜ帰国しないのかの質問に「自分は死んだことになっている。いまさら帰って、あれだけ有名になった母の顔をつぶすことはできない」と話したと言われています。息子の生存を信じる母親の力は実に偉大ですね。

三 放蕩息子の帰宅を快く迎える神

 神は放蕩息子の帰宅を待つだけでなく、神の方から放蕩息子に「走り寄る」お方です。

 父は「まだ遠く離れていたのに、父は彼を認め、哀れに思って走り寄り、その首を抱いて接吻した」(20)のです。この譬え話のクライマックスとも言うべき名場面です。

 この話は譬え話ですから、人間的に見て上手くできた話だと思う部分はあります。たとえば、放蕩息子が家を飛び出してから、どれほどの時間と日数が経過しているかは不明です。また、あまりにも落ちぶれた姿に父親がすぐに放蕩息子だと気づくことにも不自然さがあります。何の通信方法もない中で、偶然に父親と放蕩息子が出会うという点も同様です。しかし私はこの場合、恐らく放蕩息子は旅立ったあと、故郷のこと、親のこと、兄弟のこと、雇い人ことなど一度たりとも思い出すことはなかったでしょう。しかし、子を思う親は、一日たりとも子どものことを忘れることはありません。よく言われるように、不憫な子どもほど可愛いものなのです。

 放蕩息子は、「父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。」(21)と父に言いました。しかし父はその言葉を遮るようにして、「父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪をはめ、はきものを足にはかせなさい。また肥えた子牛をを引いてきてほふりなさい。楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』、それから祝宴がはじまった。」(22~24)のです。

 聖書は「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)と約束しています。神の最大の願いは「人間の救い」であり、「神の家族」の回復に他なりません。その「救い」の豊かな内容を、放蕩息子の譬え話の中に見ることができます。

 首をだいて接吻したということは、神と人間との友好関係が回復されたこと。最上の着物を着せたと言うことは、人間の不義を赦し、神の義が付与されたこと。指輪を手にはめたと言うことは、単なる装飾品ではなく、神の子の身分を証明する実印をはめたと言うこと。履き物を足に履かせたと言うことは、健全な日常生活の回復を保障すること等々。神の恵みの豊かさを余すところなく、つまり「福音の本質」が、この「放蕩息子」の譬え話の中に記されているのです。祝宴の最大の喜びは「このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから」(24)というところにあります。「福音の本質」の最大のポイントは、「失われた永遠の命の回復」にあるのです。

 今回は「放蕩息子の話」を題材にして、「放蕩息子を失った神」に焦点をあてて記させていただきました。それではまた次回、お会い致しましょう。