説 教 題:「三位一体の神」中島秀一師
聖書箇所:ヨハネの福音書14:10~19

説 教 題:「三位一体の神」
聖書箇所:ヨハネの福音書 14:10~19

 私たちは去る5月28日に聖霊降臨日(ペンテコステ)を迎えました。この日に聖霊は降臨されました。素朴な疑問ですが、すでに実在しておられた聖霊が、改めてこの日に降臨されたとはどういう意味なのでしょうか。本日のテキストには「ペンテコステの日」に関わることが記されています。因みに(ペンテコステ)とは「50」を表す言葉で、聖霊がイエス・キリストの復活後50日目に降臨されたことと関連づけています。

 聖書はこの日を非常に大切な日として位置づけています。モーセは過越の祭をきっかけにしてエジプトを脱出し、その後50日目にシンの荒野に到着しました。そこでシナイ山において「十戒」を授かりました。その後イスラエル民族は希望をもって約束の地カナンに向かい、40年後、約束の地カナンに入国することができました。この日はまさしく旧約におけるペンテコステであり、新約のペンテコステのひな型であります。

 新約においてはイエス・キリストの復活後50日目に聖霊は降られました。聖霊のバプテスマを受けた弟子たちの証言によって、この日に三千人の人々がイエス様を信じ救われました。この人々を核としてエルサレム教会が誕生し、歴史は聖霊の時代、教会の時代として大きく転換していくのです。同時にこの日を境にして「三位一体の神」もその立場と働きにおいて大きく充実し、変容して行くのです。

Ⅰ.ペンテコステの日の出来事

1.キリストの昇天と即位

 主イエスは「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」(14:12)と言われました。「イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。」「(使徒1:9)、さらに「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1:11)と記しています。

「またおいでになります。」とは、キリストの再臨を意味しています。また、「主イエスは彼らに語った後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。」(マルコ16:19)と記されています。主イエスは復活体の立場から天上にその位置を変えられたのです。

2.聖霊の降臨=キリストの霊

 主イエスは「 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(14:16)、また、「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。

でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」(ヨハネ16:7)と言われました。「我さらん、彼来たらん」(ヨハネ16;7 文語訳抄)。ここで私たちはペンテコステの日に降った聖霊は、「キリストの霊」であることが理解できます。

3.聖霊降臨の実際

   聖書は「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」(使徒2:1~4)と記しています。

その後、ペテロの説教(使徒2:14~36)によって、三千人の人々がバプテスマを受け、それらの人々の多くがエルサレム教会の会員となって宣教が世界へと拡大して行きました。

Ⅱ.「三位一体」について

1.「三位一体」の意味

 「三位一体」はキリスト教の最も重要な教理です。聖書にはこの言葉はありませんが、この教理は聖書が一貫して伝えている信仰内容です。「三位一体」とは「神は『父なる神・子なる神・聖霊なる神』という三つの人格から成っておりながら、同時に共通の性質、本質、本性において一つである『唯一の神』である。」という意味です。この内容は神の啓示であり、聖霊の助けなくして理解することはできません。

2.「三位一体の神」の働き

 「三位一体の神」は天地創造のはじめから存在していました。

旧約時代においては主として「父なる神」が働かれました。新約時代の33年間においては主として「イエス・キリスト」が働かれました。そして「ペンテコステ」以降は主として「聖霊なる神」が働いておられます。その働きは現在に至るまで続いています。

「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(コリント第一12:3)

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(14:26)

「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(ヘブル7:25)

3「三位一体の神」の啓示

 聖書は随所に「三位一体の神」を啓示しています。「はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」(創世記1:1~3)、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」(コリント第二13:13)

テキストの10節~20節には「父なる神」が9回、「子なる神」が25回、「聖霊なる神」が6回も記されています。主イエスのこれらの言葉は、まさしくペンテコステの出来事を念頭において語られたものに違いありません。

 

Ⅲ.「三位一体」の教理

 初代教会において「イエス・キリストの神性」に関して激しい論争がありました。アリウス派は「キリストの性質は父なる神と同類(ホモイウシオス)」、アレキサンドロス派(後のアタナシウス派)は「御子と父なる神は同質(ホモウシオス)」であると主張しました。

この問題で教会は三二五年の「ニカヤ会議」を開催し「ニカヤ信条」を採択しました。アリウス派の抵抗によって、三八一年に「コンスタンチノポリス会議」を開催し、そこでアタナシウス派の主張する「三位格同一本質」が確定し、「コンスタンチノポリス信条」としてまとめられました。この信条は「ニカヤ信条」を継承するもので、「アカイア・コンスタンチノポリス信条」と呼ばれています。

 この信条は長いので、信条作成の中心となったアタナシウスの信条を紹介しておきます。

 「これは、わたしたちが、一つである神を三位において、三位を一体において、礼拝することです。しかも、位格を混同することなく、本質を分離することなく、父と子と聖霊との神性は一つであり、み栄は等しく、権威も等しく永遠です。このように、父は神であり、子も神であり、聖霊も神であります。しかも三つの神ではなく、一つの神です。」

 異端とされたアリウス派は現在のエホバの証人やモルモン教に大きな影響を与えました。正統と異端の違いは微妙で、異端の常套手段は真っ赤な嘘ではなく、ピンク色の嘘をつくことです。

旧統一教会は聖書の教えは95%正しいと認めつつ、残りの5%は人間の行為(印鑑や壺の販売)が必要であると教えました。私たちは教父たちが命がけで獲得した正統な「三位一体の神」の教義を継承し、信仰を守り抜かなくてはなりません。

 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」(コリント人への手紙第二13章13節)