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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

前奏                                  奏楽者
招詞              歴代第一16:25~27司会者
賛美              新21(聖ナシ)            一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             29(詩篇第95篇)903頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新222(聖442)           一同

聖書              マルコ10:35~45  玉田基兄
説教              「主が仕えられたように」 井上義実師
                聖書各巻緒論41・新約2・福音書2
祈祷                                    一同

賛美              新394(聖295)            一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)         〃
感謝                                    当番

頌栄              新63(聖383)             一同
祝祷                                    牧師
後奏                                    奏楽者
報告                                    司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

 

説 教 題:「主が仕えられたように」井上義実師
聖書箇所:マルコ10:35~45

 先週から聖書緒論を再開しました。先週が新約聖書の第一巻マタイの福音書でした。今日は新約聖書の第二巻マルコの福音書を開きます。マルコの福音書は、イエス様に関わる事実が簡潔に記されています。

Ⅰ.マルコの福音書の概観

 マルコはペテロの通訳であったという言い伝えがあります。ペテロは、自分が書いたペテロ第一5:13で「私の子マルコ」と呼んでいます。

使徒12:12「ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。」とあるように、マルコの母の家はエルサレムで信徒たちが集まる大きな家であったことが分かります。イエス様の最後の過越しの食事はマルコの家であったとも言われています。

マルコはバルナバの従兄弟「バルナバのいとこであるマルコ」(コロサイ4:10)になります。バルナバを通してパウロとの関わりが生まれていったのでしょう。パウロとバルナバによる第一回伝道旅行で、マルコも助手として同行しています(使徒13:5、ここで出てくるヨハネはマルコの元々の名前、使徒12:12)。

マルコは、バルナバの出身地キプロス島から小アジアに渡り、ペルゲからタウルス山脈に分け入っていく、パウロの伝道旅行の厳しさに恐らく耐えられなかったのです。

マルコは一人、出発地のアンティオキア教会にも寄らず、故郷のエルサレムに帰ってしまいました。パウロはこのことから、第二回伝道旅行では同行者にシラスを選びました。

 バルナバはマルコを導き続けたでしょうし、ペテロもマルコと共に働きを進めたことでしょう。パウロは後に、「私の同労者」(ピレモン24)とマルコを呼びました。パウロはマルコを「彼は私の努めのために役に立つ」(テモテ第二4:11)と書き残したようにマルコの成長を見ることができます。

マルコの福音書は、4つの福音書で最も早く書かれ、原福音書と呼ばれます。マルコはペテロから聞いたイエス様の伝記を、最初にまとめるという大きな働きを成し遂げました。

Ⅱ.神様に従う者

 マルコの福音書からこの箇所が開かれてきました。少し前の32節から読みますと、イエス様は弟子たちが驚き、恐れるほど決然とエルサレムに向かわれていく姿が出て来ます。イエス様は、エルサレムで敵対者たちによって殺されるが、三日後によみがえるという救いの業を語られました。

その直後に、12弟子のヤコブ・ヨハネの兄弟が、イエス様が支配される国で左右の御座に着かせてほしいと願いました。ヤコブ・ヨハネは人間的な栄誉心、利得を求めたのです。イエス様がご自分をささげられる尊い救いの話をされた後に、自分の利益を求める醜い話が出てきます。

残りの10人の弟子たちも彼らをたしなめたわけではなく、この言葉に怒り始めるのですから、彼らも同類であることが良く分かります。

イエス様はヤコブ・ヨハネの2人を決して怒っておられないのです。ヤコブ・ヨハネは何も理解できていないのに、イエス様の杯を飲む、イエス様に従いますと言っていますが、この2人を退けることはされませんでした。偉くなりたいと思う者、先頭に立ちたいと思う者は、仕える者、しもべになりなさいとイエス様は言われました。

神の国が進んでいく中で、偉い者、先頭に立つ者とは、この世とは反対に、私心無く、神様に従う者であるでしょう。本人の思いではない、周囲の評価でもない、それらを越えた神様の御心によってなされていくことです。

Ⅲ.神様に従ったマルコ

 マルコもパウロの第一回伝道旅行の際に、自分の思いでペルゲからエルサレムに帰ってしまいました。神様の御心に従えなかった大きな失敗でした。

彼を教え導いたぺテロも、イエス様が捕えられ、不法の裁判を受けられた夜明け前、大祭司の中庭で3度イエス様を知らないと言う大きな失敗を犯しました。マルコが立ち直って、より大きな神様の働き人にされていくには、ペテロの存在は大きかったことでしょう。イエス様が、最後の晩餐の席上で、ペテロのために祈られた「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-34)はこのように成就しました。

ここで愚かなことを言ったヤコブ、ヨハネも、それぞれの道で主に従い通した生涯を送りました。ヤコブはヘロデ・アグリッパによって剣で切り殺されました(使徒12:1~2)。12弟子の最初の殉教者となったのです。ヨハネは12弟子の中で、最後まで生き残って、福音書、手紙、黙示録を記すという働きが託されていました。

 

 マルコ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネもそれぞれに失敗を犯まいしたが、神様に寄りすがり、新たにされることを通して、より深くより豊かな神様の働きへと導かれていきました。誰もわざわざ失敗し、罪を犯すことはないはずですが、失敗、過ち、罪でさえも、主の前に悔い改めて、新たに造り変えられることができます。

さらに主の道に進んでいくことができるのは神様の大きなあわれみ、慈しみなのです。

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