前奏 奏楽者
招詞 ヨハネ黙示録21:3~4司会者
賛美 新209(聖ナシ) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交 読 文44(詩篇第139篇)914頁〃
祈祷 司会者

賛美 新303(聖ナシ) 一同

聖書 ピリピ3:17~21油井万里姉
説教 「御国を目指す歩み」 井上義実師

祈祷 一同

賛美 新426(聖519)一同
献金
献 金 唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番

頌栄 新63(聖383)一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者

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説 教 題:「御国を目指す歩み」       井上義実師
聖書箇所:ピリピ3:17~21

 召天者合同記念礼拝にご参集くださり、心から感謝いたします。ここに集う私たちの内には、人は死では終わらないという共通の思いがあります。国民性で多少の違いがあるでしょうし、個人の考え方には大きく幅があります。

人は死んでしまえばお終いで、何も残るものはないと考える方もあります。しかし、私たちは人が霊や魂を持つ存在であるということ、霊や魂は肉体の死で失われないことはないと受け止めています。

Ⅰ.私たちは地上を歩む

この朝、読んでいただいた聖書箇所には、地上と天という言葉が出てきます。私たちは今、この地上に生きています。日々の些細なことにも楽しみ、喜びを見出すことはできます。小さな一輪の花にも、何気ない空の雲にも、…私たちの心が動かされることがあります。

しかし、この聖書箇所で、地上とつながる言葉は「滅び」「欲望」「恥ずべきもの」です。来月12月には、世界中を巻き込んでいるコロナウイルス感染の始まりから3年になります。

疫病が中世の時代で終わったものではなく、今も力を振るうものであることを痛感しています。戦争も過去のものではありません。私たちは毎日、殺戮や破壊が行われるむごたらしさを見せられています。地上には良いもの、美しいものもたくさんありますが、悪しきもの汚れたもので、踏みにじられてしまうことを感じます。

Ⅱ.私たちに天上を指し示す

辛いことや苦しいことが多くあるこの地上に私たちは生きています。ここで、天上とつながっている言葉は「栄光に輝く」です。天の御国は栄光の輝きに満ちています。黙示録21章には永遠の都が記されています。そこには神様の聖なる臨在があります(黙示録21:3)。

その麗しさは宝石や貴いもの等にたとえられています(黙示録21:18~21、純金、サファイア、エメラルド、真珠他)。そこには涙、死、悲しみ、叫び声、苦しみはない(黙示録21:4)とあります。

天の御国ははるかに遠い世界でしょうか。先ほど、読まれた聖書箇所には、私たちの国籍は地上ではなく天にある(ピリピ3:20)と言っています。

また、私たちをこの地上の寄留者、旅人であり、天の故郷を目指すとも言います(へブル11:13~16)。私たちは地上の世界しか知りませんが、神様は完全で永遠である世界を用意してくださっています。

Ⅲ.私たちを天上に迎える

それでは、天の御国に至る道はどこにあるのでしょうか。イエス・キリストが鍵の言葉になります。この方が救い主であり、私たちをも天の御国に入るものとして、相応しい姿へと変えてくださいます。

天の御国に迎えられない人は「キリストの十字架の敵」(ピリピ3:18)であると記されています。敵の反対語は味方です。キリストの十字架の味方であれば、天の御国に入ることができます。キリストの十字架の味方とは、キリストの十字架を自分のものとして受け入れ、救いのためであったことを信じるということなのです。

この地上にあって、滅びに向かわせる罪や欲、恥ずべきものを取り去り、私たちを神様に相応しく整え、天の御国へと導く力がキリストの十字架にあります。
 
キリストは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)と言われています。天の御国に導く道、真理、命を、先に召された方たちはキリストを通して持たれました。天の御国に愛する方々は信仰によって移されています。私たちもこのキリストを自分のものとし、天の御国へと歩もうではありませんか。

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