聖書各巻緒論(11)
説 教 題:「ソロモンの功罪」      井上義実師
聖書箇所:列王記第一 4:29~34

 聖書各巻の緒論は今回で第11回となります。サムエル記第一・第二を終えて、列王記に進みました。サムエル記から続く歴史書となります。元々、サムエル記第一・第二、列王記第一・第二は1巻だったとも言われています。この4巻が切れ目なくつながっていることは読んでいただければ解ります。列王記第一・第二によって、統一王国時代の最後北王国イスラエル・南王国ユダの分裂王国時代の両国の歴史北王国のサマリヤの陥落(B.C.722)南王国のバビロン捕囚(B.C.586)に至る大きな歴史の流れをつかむことができます。

Ⅰ.基本的なことがら

●著者:伝承としてはエレミヤの名が上がります。エレミヤはイスラエル王国の歴史を始まりから終わりまで記すことはできたでしょうが、詳しくは解りません。
●執筆年代:年代はダビデの晩年(B.C960年頃)からアハブ王の晩年(B.C850年頃)までの期間となります。執筆された年代は著者同様に余りよく分らないと言えます。
●大区分:1-11章  ダビデの死、ソロモンの治世
     12-22章 ヤロブアムの反逆、王国の南北分裂、エリヤの活動

Ⅱ.基本的なメッセージ:「ソロモンの施政」

 ソロモンはダビデを父に、バテ・シェバを母に生まれます。多妻のダビデであり、王位継承者がたくさんいる権謀術数が渦巻く宮廷です。列王記第一第1章ではアブサロムの弟アドニヤが王位に就こうとしたクーデターも出てきます。多くの王子の中で、ソロモンがダビデの次の王位に就くのは神様が選ばれ、神様が導かれたこと抜きには考えられません。

 ソロモンの就任によって、ソロモンの栄華と称されるイスラエル王国の最盛期を迎えることになります。ソロモンの歩みの基となったのは、神様が夢の中で、ソロモンに願いは何かと問われた場面にあります(3:5~14)。神様は、ソロモンが長寿も、富も、敵の命も願わずに、判断力を願ったことを喜ばれました。神様は、ソロモンに知恵と判断の心を与えられ、ソロモンが願わなかった富も誉も長命も約束されました。周囲の国々との戦いに暮れた父ダビデの軍政とは異なり、ソロモンは平和時の治政でした。

 ソロモンの統治は、政治機構は複雑化した面はあり(4章)、独立・独歩の機運が強い各部族を十分満足させたかは解りません。常に強国が支配した北方のメソポタミヤに、権力の隙が生まれていたので、ソロモンの領土はユーフラテス川から地中海に及びました(4:21)。平和を背景に、陸路、海路の通商交易は盛んとなって、多くの利益を得ました(10:11~23)。ソロモンの王宮は壮麗に飾られ、贅を尽くしていましたが、エルサレムに神殿建設を行ったことが歴史的な事績でした(6~8章)。

Ⅲ.聖書箇所のメッセージ:「ソロモンの功罪」4:29~34

 ソロモンは王としての治世のみならず、3千の箴言、歌は千五首(32節)とあるように詩歌にも秀でていました。旧約聖書に、箴言伝道の書雅歌を残しています。植物学、生物学、博物学的な知恵(33節)を持っていました。シェバの女王(10章、シェバとはアラビヤ方面と言われる)は、ソロモンの知恵と繁栄を確かめにはるばるやって来ます。

 しかし、ソロモンも積極的な評価だけで測れないものがあります。11章にはソロモンの家庭が出てきますが、エジプトのファラオの娘始め、多くの異邦の女性を妻としました。このことは、異教の神々が宮廷に祭られることになったのです。偶像崇拝への神様の怒り(11:9~13)に対して、ソロモンは悔い改めることはしませんでした。このことが王国の分裂を招いていったのです。ソロモンは大きな事績を残しましたが、消極面も大きかったのです。

 ソロモン後の時代は、政治を行う王祭祀を司る祭司神様の使信を告げる預言者の3つの働きがイスラエルを支えていきます。王を始め国中に、真の神様への不信仰、偶像礼拝、欲望にかられた自己中心が大きくなると、神様が遣わされた預言者の警告も強く響いていきます。北王国イスラエルのオムリ王の子アハブ王の時代、妃イゼベルがシドンから嫁いできて、バアルもアシェラも王が主導して祭られました。この時代、神様が遣わされて、世に現れたのはティシュベ人エリヤであったのです(17:1)。預言者が表に出て活躍する時代は、人心が神様から離れた時代であったのです。

 ソロモンは神様に愛され、神様の祝福の内に歩みましたが、イスラエルに禍根を残していく、残念な結果を生み出していきました。私たちはソロモンと比べて小さな者ですが、神様の愛に対して、愛を持って応えることのできる者となろうではありませんか。イエス様が捕えられた時にペテロは3度イエス様を知らないと答えました。ペテロは、深い後悔と自責の念にかられていました。復活のイエス様が私を愛する声をかけられても、「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」(ヨハネ21:15~19)としか答えられません。その後のペテロが初代エルサレム教会の中心となり、伝承ではローマで逆さ十字架に架けられて殉教したと言われ、ペテロはその生涯を主に従い通しました。私たちも、私があなたを愛していることは、あなたがご存じですと主に申し上げながら、主に従っていく者となりましょう。