聖書各巻緒論30・預言書8
説 教 題:「神様の回復と栄光」    井上義実師
聖書箇所:アモス9:11~15


 聖書各巻を順に開いてきましたが、小預言書12巻の3番目に当たるアモス書となります。小預言書は説教では余り語られないかも知れません。しかし、各巻には特徴があります。ホセア書は神様がホセアの家庭を通して回復を語られていました。ヨエル書はいなごの災いから神様の裁きと、回復の主の日が来ることが語られていました。小預言書各巻を味わって読まれると、必ずや神様の恵みに与られることができます。今朝のアモス書を読んでいきましょう。

1.アモスの特徴


 冒頭の1:1を読みますとアモスが「テコア出身の牧者の一人」とあります。途中の7:14には「いちじく桑の木を栽培していた。」ともあり、アモスは半農半牧の生活をしていました。テコアはベツレヘムから南の方角で8~9Kmの距離にあります。イスラエルの中央山地にあって、エルサレムから南に向かって、ベツレヘム、テコアはほぼ等距離で位置しています。

アモスは祭司出身の宗教者ではありません。学者として特別な知識を学んだ者でもないのです。イエス様の降誕の場面でよく語られますベツレヘムの野で羊の番をしていました羊飼い(ルカ2:8)と同じように、地の民(アム・ハ・アレツ)に属しています。彼らは律法の元にいない者として虐げられていました。かつて、モーセはエジプトからイスラエルの民を導き上りました。モーセはエジプトからミディアンの荒野に逃れて40年間羊飼いの生活をしました。モーセにとって、荒野こそが神様の学校、実地の訓練の場であったのです。アモスもテコアの野が、神様との交わり、訓育を受ける場所でありました。

アモスが活動した時代は、1:1に「ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアム(2世)の時代」とあります。アモスはホセアより前の預言者であり、イザヤと少し重なりますが、イザヤの方がアモスより後の預言者になります。

2.アモスの時代


 アモスの活動については「イスラエルについて彼が見た幻である。」(1:1)と記されています。アモスは、南王国ユダの出身でありながら、北王国イスラエルに遣わされて神様の使信を語りました。ヤロブアム2世の時代、アッシリアは内政が不安定であり、パレスチナに手を伸ばすことができませんでした。北王国イスラエルは繁栄し、経済的には潤いましたが、宗教的、道徳的、社会的に腐敗し切った時代でした。神様はアモスを遣わし「主はシオンからほえ」(1:2)と記されているように、神様の怒りを帯びて吼えるようにアモスは叫んだのです。北王国イスラエルに忽然と姿を表した羊飼いアモスの姿は、エルサレムの神殿、王宮にいた預言者には果たせない力強さを覚えます。新約聖書で言えば、悔い改めを叫び、バプテスマを施していた荒野のヨハネにつながっていく姿です。

アモス書は四区分されます。1・2章は周辺諸国への審判3~6章は北王国イスラエルへの審判7章~9:10は幻による啓示です。本日開かれた9:11~15は最後の結論となります回復の希望です。 

3.アモスの使信


 イスラエルは神様の特別な選びを受けながら神様に背いたことは、他の諸国、諸民族と比べて、大きな罪と言えることでした(3:1・2)。神様はイスラエルの形式的な宗教儀礼を受けられないことを、イスラエルの繁栄や、富、誉を変えて、飢饉や疫病を送られ、滅亡に向かわせられることが述べられています。イスラエルの状態は「炎の中から取り出された燃えさし」(4:11)でありました。今にも燃え尽きてしまう、一歩直前の状態から救い出されるだろうという預言です。神様の求めは「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」(4:12)に御心が込められています。神様はアモスに幻を見せられて、啓示を与えられました。8章には「一かごの夏の果物」が出てきます。そこに示された裁きは「パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。」(8:11)と言われています。9章に出てきます聖所の祭壇の傍らに立たれる力ある裁きの主は、黙示的であり、終末につながっていきます。最後の9:11からはイスラエルの最終的な回復が記されています。その時には永遠に至る完全な回復がなされます。 
 
 神様の裁きはアッシリア、バビロンによる南北両王国の滅亡を指しています。やがて故国イスラエルに帰ることのできる回復を示しています。さらに終末を迎えて行く最終的な回復をも表わしています。アモスの吼えるような明確な神の言は、時を超えて私たちにも響いているのです。繁栄の中で神様を忘れ、自分の欲得に歩んで、不道徳、不法に陥っているものに、悔い改めて、神様に立ち帰るようにというメッセージです。