出席連絡
司会:丹羽琢也兄 奏楽:藤村陽子姉
前奏奏楽者
開会唱 聖366 聖歌隊
招詞 詩篇95:1~3 司会者
賛美 新27(聖ナシ) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 48(イザヤ35章)917頁(新改訳)〃
祈祷 司会者
賛美 新264(聖463) 一同
合唱 「信仰が持てたら」 聖歌隊
聖書 コリント第一9:19~27桂以そ美姉
説教 「自由を相応しく用いる」井上義実師
聖書各巻緒論46、パウロ書簡2
祈祷 一同
賛美 新394(聖295) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番
頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷 牧師
閉会唱 聖389(新ナシ) 聖歌隊
後奏 奏楽者
報告 司会者
説 教 題:「自由を相応しく用いる」 井上義実師
聖書箇所:コリント第一9:19~27
聖書各巻緒論もパウロの手紙の2番目、コリント人への手紙第 一となります。
Ⅰ.コリント伝道の進展
コリントの町は、地中海を渡っていく、ローマからアジアへの 東西貿易の最短ルートの中継点にありました。コリントは諸外国 の人々、他国の貿易品、それに伴うお金が行き交う商業が栄えた 町でした。コリント独自の工業も盛んでした。コリントは繫栄し た豊かな町でしたが、遠い諸外国の神々をも祭った神殿が数多く あり、世俗的な、風紀の悪い町でした。
パウロは第二回伝道旅行で、聖霊によって行く道が狭められる 経験をしました。パウロはアジアの港町トロアスでマケドニア人 の幻を見ます。パウロは直ちにエーゲ海を渡り、マケドニアに上 陸します。ヨーロッパ伝道の第一歩になります。
パウロは歩いて ピリピ、テサロニケ、アテネからコリントに着きました。この時 のパウロは「弱く、恐れおののいていました。」(2:3)とあります。 パウロは直前のアテネ伝道は大きな意気込みを持っていたでし ょうが、上手くいかず、失望していました。また、コリントのキ リスト教とは程遠いような、世俗的な雰囲気に恐れを感じてもい たでしょう。
この世の悪に染まっているようなコリントの町ですが、神様が 先立たれて、この町での働きを進めていかれます。パウロを助け るアキラ、プリスキラ夫妻(使徒 18:2)、パウロを支援するティテ ィオ・ユスト(使徒 18:7)を神様は備えられていました。多くの 人々がイエス様と出会い、救われていきます。パウロは神様の励 ましを受け、1 年半この町に留まって福音を語り続けたのです。
「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語 り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいる ので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わ たしの民がたくさんいるのだから。』そこで、パウロは一年六か 月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」(使徒 18:9~11)。このようにして、コリント教会はアカイア宣教の拠 点となっていきました。
Ⅱ.コリント教会の内情
コリント教会はパウロが伝道を開始しましたが、その後伝道者 アポロ、使徒ペテロも関ります。有力な伝道者がコリントの群れ を、アカイアの中心的な教会として成長させていきました。
しかし、コリント教会には多くの問題がありました。パウロは このコリントでは、アテネでの失敗に学んで、十字架の福音を大 胆に、包み隠さずに語りました「十字架のことばは、滅びる者た ちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(1:18)。
所が、コリントの信仰者たちは福音を十分に理解しませんでした。 イエス様を信じることはイエス様に結び合わされることです が、指導者に付いて分派がありました。
町の雰囲気に引かれて、不品行な罪深い者もありました。また、逆に律法主義者のように禁欲的な生活を送る者がありま した。
異言を語って教会に混乱を引き起こす者もいました。 パウロはこれらの諸問題に対して、コリント第一・コリント第 二の長い2通の手紙を書き送りました。他にも2通の手紙が書き 送られたことも文中にありますし、パウロの代理の使者も直接に 送られました。
これらの多くの問題がありながらも、神様が導か れ、有力な伝道者が関わり、成長していた、神様に愛されていた 教会と言えるでしょう。
Ⅲ.コリント教会の自由
イエス様の十字架のあがないによる救いは、私たちの心と魂に 自由と安息をもたらします「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人 たちに言われた。『あなたがたは、わたしのことばにとどまるな ら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理は あなたがたを自由にします。』」(ヨハネ 8:31・32)。
私たちは神様にある自由を持っていますが、コリント教会の信 仰者は自由を自分勝手に用いていました。もちろん、パウロは自 由を持っていましたが、その自由を自分のために用いないで、神 様のためにささげています「兄弟たち。あなたがたは自由を与え られるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会と しないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。律法全体は、『あ なたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことば で全うされるのです。」(ガラテヤ 5:13・14) 。
パウロは律法にあるユダヤ人、律法のない異邦人、弱い人、… どんな人に対しても、その救いに仕える者であると語っています。 例えるなら、競技場で走るランナーのようであり、拳闘をするボ クサーのようであると言います。
ランナーは1秒でも早くという、 自分自身との戦いです。ボクサーは敵を倒すために格闘する戦い です。パウロは自らを、自分自身に厳しい者として、敵との戦い にも全力を尽くすものであると言っています。それは、神様にあ る勝利、栄誉、祝福を得ていくためなのです。自由を自己満足の ために用いるのではなく、他者のために用いていく、神様の御心 を満たしていくために用いていくことが大切なのです。
2 千年前、世俗的な雰囲気に取り囲まれていたコリント教会は 特別な環境にあったことでしょう。しかし、今のこの時代に生き る私たちには、この教会に起こってきたことが常に起こりうる危 険を示しています。世俗的な環境でもコリント教会が成長してい ったように、私たちの教会もこの時代の中で、きよさ、愛、献身 を持ちながら、成長していくものでありましょう。
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