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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:大垣義信兄 奏楽:藤村陽子姉

前奏                                   奏楽者
開会唱             聖366             聖歌隊
招詞              詩篇150:1~2   司会者
賛美              新156(聖483)             一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             55(ヨハネ15章)923頁(新改訳)〃
祈祷                                      司会者

賛美              新268(聖467)              一同
合唱              「今日まで守られ」       聖歌隊

聖書              ルカ2:39~52      植村奈美姉
説教              「準備の時を待つ」       井上義実師

祈祷                                      一同

賛美              新314(聖491)              一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                      当番

頌栄              新63(聖383)               一同
祝祷牧師
閉会唱聖            389(新ナシ)        聖歌隊
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

説 教 題:「準備の時を持つ」井上義実師
聖書箇所:ルカ2:39~52

 先週24日にクリスマス礼拝、燭火礼拝をささげました。本日31日は年末感謝礼拝、今夜は越年感謝祈祷会、明日は元旦礼拝ですので、何時も以上に慌ただしさを感じます。今日は年の瀬です。

大掃除やお料理、年賀状などこの世の準備も必要ですが、新年を迎えるに相応しい霊的・信仰的な備えをいただき、心を整え、備えましょう。

Ⅰ.成長され仕えられるイエス様

 神が人となられた降誕の不思議をクリスマスの毎に感じます。どんな誕生の方法も、イエス様は取られることはできたことでしょう。天から降ってくる、海から現れる …それでは余りに不自然な愚かな話でしかなく、逆に誰もイエス様を神の子とは信じないことになるのではないでしょうか。

イエス様は人としては、私たちと同じ誕生が必要でしたし、神としては、汚れた罪ある私たちの誕生とは違う誕生が必要であったのです。聖霊の力が臨んで、信仰と思慮の深かった処女マリアからの誕生こそ相応しい方法だったのです。

降誕されたイエス様は、何ら変わらない一人のみどり子として、母マリアの腕に抱かれ、やがて幼子としてガリラヤのナザレで成長されました。少年イエス様の唯一のエピソードをルカは残しています。12歳の時の過越しの祭りの際の宮上りです。

イエス様が身体的に健康に成長され、神殿の教師たちが驚くほどの知恵を持たれ、神様の愛と人の愛の中で育たれていたということが分かります。この世の社会、規範、道徳に従って両親に仕えられていました。神様にある一人の存在が生まれ、どのように成長すべきかを教わります。家庭で、教会で神様を第一として育てられていく環境を持つことがいかに大切かを知ることができます。

Ⅱ.神の子であるイエス様

 素朴な疑問として感じますが、イエス様がいつから神の子としての使命を自覚されたのか、このことを聖書は記していません。このエピソードで「わたしが自分の父の家にいるのは当然である」(49節)とおっしゃっていますから、少なくとも12歳の時にはご自分の使命を理解しておられました。この世の両親に謙遜に仕えておられていたのです。

 神の子であるということを、私たちに照らすならイエス様を知ること、イエス様を信じ受け入れることによって私たちも神の子とされます「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)。

神様の愛によって私たちは神の子とされています「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。」(ヨハネ第一3:1・2)と宣言されています。

神の子に変えられた私たちはイエス様と共に神の富の共同相続人とされています「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。

子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」(ローマ8:14~17)。イエス様を通して、神様の大きな恵みに生きることができるのです。

 イエス様がこの世で神の子として成長され、人に仕えられたように、私たちも神の子とされて成長する者であり、神の愛と力をいただいて人に仕える者であることを教えられます。

Ⅲ.神様の働きに備えられるイエス様

 イエス様はこの世での父ヨセフから大工仕事を習われ、ナザレでの30年間を過ごされました。聖書は12歳の出来事以外に、何も残していませんが、無駄な時間を過ごされたのでは決してありません。

イエス様は神様の働きに立たれるまでに、30年という時を必要とされました。ナザレの日々は家族に仕え、神様の良き証しを周囲に残していく、次の歩みに備えていく忍耐の時を過ごされた、私たちの模範の姿でした。神が人となられたイエス様でさえ、準備の時を過ごされるのであれば、私たちが何かを始める際に、準備なしで行うことはできません。

 私たちは明日には新しい2024年を迎えていきます。準備の時間は短いですが、与えられた新しい年を主の御業を拝するために備えていきましょう。私たち、個人個人の歩みに、家族の中に、隣人の中に、教会、教区、教団の働きの中に主の恵みが注がれ、新しい業がなされていくように心備えようではありませんか。

 年末の慌ただしい中も主を仰ぎ、主の御声を聞き、主に従っていきましょう。

「イエスと共に新しい年を」

植村正久1858(安政4)年-1925(大正14)年 明治期の代表的なキリスト教指導者 富士見町教会初代牧師 他

 われわれはこの歳末においてイエスが真の王である。わが主、わが神であるということを認めて、イエスにつかえることも、身を献げることも、イエスによりて希望することも,自分の抱負をも、実に王者の眷顧(けんこ)を蒙(こうむ)って居るものに相応しい有様であるようにしたい。どうぞモッとイエスに委(まか)せるようにしたい。われわれの現状は、決して正しくない。何故われわれは魂の上において今日かくのごとくむさくるしいものであるか。何故モッと振るわないのか。何故豪(えら)くならないか。余りイエスを見くびるからである。もしわれわれが真にイエスを見上げ、これを信じて、身も魂も献げて、主の事業に真に乗り掛かるならば、イエスの事業に何もかも入れ込むならば、その時こそ真に富むのである。力付くのである。今日とは違った喜ばしい光り輝くところの心になれるのである。

…イエスのごとき主を奉じ、これに身を託して、意気常に揚がらず喪家(そうか)の狗(いぬ)然たるは理において有るまじき事と言わねばならぬ。イエスは大いなる富と力と自由とをもち手を広げて待って居られる。ここを善く合点するが新年を迎うるに一番善い準備である。

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