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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:大垣義信兄 奏楽:松下真由美姉

前  奏            奏 楽 者
開 会 唱     聖366    聖 歌 隊
招   詞     詩篇100:1~3       司 会 者
賛  美      新1(聖477)        一   同
主の祈り      新826頁   〃
祈 祷 唱     聖373(新ナシ)       〃
使徒信条      新826頁   〃
交 読 文     18(詩篇第50篇)892頁(新改訳)     〃
祈  祷        司 会 者

賛  美      新230(聖ナシ)       一   同

        ―ギデオン報告と証し―     坂本 翼兄

合  唱    「さあ、共に生きよう」     聖 歌 隊

聖  書    エペソ4:1~10       沖 加奈姉
説  教    「一つの群れに召される」    井上義実師
祈  祷            一   同

賛 美       新341(聖591)      一   同
献  金
献 金 唱     聖378(新ナシ)       〃
感  謝              当   番

頌  栄      新63(聖383)       一   同
祝  祷              牧   師
閉 会 唱     聖389(新ナシ)       聖 歌 隊
後  奏            奏 楽 者
報  告            司 会 者

Webコイノニアで閲覧できない場合はYouTubeでご参加ください。

https://www.youtube.com/watch?v=wE6LrB6-3aY

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「一つの群れに召される」 井上義実師
聖書箇所:エペソ4:1~10

 2024年度に教団に与えられました聖句の第二回となります。教団がこれからの時代の働きのために、一致して向かっていくために開かれてきています。

私たちの教会でも、更なる前進のためにより一層の一致が必要です。この聖書箇所には私たちがイエス様によって変えられ、イエス様によって召し出され、イエス様によって一つとされることが記されています。

Ⅰ.下られたイエス様(7~10節)

 イエス様は神様ですから、永遠の存在です。Cf.人間の存在の正反対を考えると神様が分かりやすいです。人間は時間の中で生きています。⇔神様は永遠の中で生きておられます。人間は場所に限定されます。⇔神様は場所に限定されません。

人間は不完全で分からない事が多いです。⇔神様は完全ですべての事をご存知です。人間はあらゆる制限がありますが、神様には何ら制限はありません。…

栄光に満ちた、至高の御方である神様が人間の世界に生まれることは、考えることができない程のヘり下りなのです。しかも、イエス様は家畜の小屋に生まれ飼葉桶に寝かされたように、貧しく、低く歩まれました。その死は、人からあざけられ捨てられた十字架の死でした。全くの罪人としてよみに下られました(使徒信条を参照)。

地上に下って来られたこと、貧しく低く歩まれたこと、その死はよみにまで下るものであったこと、それらは父である神様の救いの計画に従ってなされました。イエス様が神様と同じく、全ての人を救うことを何よりも願われ、ご自分をささげてくださったのです。

この箇所にも、神様の愛を表す言葉が「賜物」「恵み」「贈り物」(7-8節)になります。イエス様が成し遂げてくださった救いの御業により、神様はイエス様を最も高く引き上げられました「もろもろの天よりも高く上られた」(10節)。

Ⅱ.召してくださるイエス様(1~3節)

 救い主であるイエス様は私たちを召してくださいます「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(1節)。イエス様は私たち一人一人に目を注ぎ、常に呼びかけていてくださっています。イエス様の召し、呼びかけということでは、エリコの取税人ザアカイの救いが象徴的です(ルカ19章参照)。

ザアカイは町の人々に愛された、良い人物ではありませんでした。当時、取税人は罪人と呼ばれました。支配者ローマの手先として、税金を取り立てる嫌われ者でした。しかも上積みをし、その分は自分たちのものにしていました。

しかし、イエス様は彼の心と思いをご存知でした。ザアカイが喜んでイエス様に従うことを表した時「今日、救いがこの家に来ました。」(ルカ19:9)とイエス様は言われました。イエス様は私たち全てが救われるように、召し出してくださいます。

さらに、「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(1節)と神様と共に歩むことを願われています。神様に相応しく歩む歩みによって、「謙遜」「柔和」「寛容」「愛」「忍耐」「平和」(2・3節)という御霊の実を結んでいくのです。私たちを神様にある者としての心、品性を与えてくださるのは聖霊の働きです。

Ⅲ.一つにしてくださるイエス様(4~6節)

 イエス様はご自身がかかられた十字架によって、3日後によみがえってくださったことによって、聖霊を送ってくださったことによって、私たちに救いを現わしてくださいました。この尊い救いに与るように招いてくださっています。

今、私たちはこのイエス様の召しに応えて、神様と共に歩む者とされています。さらに神様は、ご自身に相応しく整えられ、教会にあって一つとされることを願っておられます。キリスト者は孤独に生きる者ではありません。神様への信仰があればそれで良いのではないのです。教会にあって一つとされて、イエス様の御体を建て上げていきます。

神様は自己中心である私たちが、イエス様の救いに与っても、一致していくことの困難さをご存知です。3~6節の短い箇所に一つと言う言葉を7回用いておられます。「召しの望み」、「からだ」、「御霊」、「主」、「信仰」、「バプテスマ」、「神」。

これらを細かくは見ませんが一つの箇所を引用します「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。

ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。」(コリント第一12:11~13)。

これら多くのことがらによってネットのような網の中で、私たちは一つにされていきます。これらの内の一つが叶わなくても、一つが失われても簡単に離れていくことはありません。幾重にも守られています。

 私たちの教団、私たちの教会、一人一人が進んでいく時に、一致を阻むものは起こるかも知れません。ただし、それらを恐れることはありません。神様を信じて進んで行きましょう。全てを越えて働かれている神様が共におられます。私たちは主が再び来られる日まで、守られ支えられて歩んでいくことができるのです。

 

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