前奏   奏楽者
招詞  イザヤ43:19~21司会者
賛美  新20(聖ナシ) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱  聖373(新ナシ)     〃
使徒信条  新826頁 〃
交読文  6(詩篇第22篇)883頁(新改訳)   〃
祈祷  司会者

賛美  新253(聖495)     一同

聖書  マタイ16:13~20油井万里姉
説教  「御国の鍵を持つ」  井上義実師 御国が近づいている3
祈祷  一同

賛美  新421(聖571)   一同
献金
献金唱  聖378(新ナシ)      〃
感謝  当番

頌栄  新63(聖383)     一同
祝祷  牧師
後奏  奏楽者
報告  司会者

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説 教 題:「御国の鍵を持つ」  井上義実師
聖書箇所:マタイ16:13~20

2023年を迎えて早、最初の1か月を過ごしました。ウクライナでの戦争は間もなく1年になり、コロナ感染は4年目を迎え、人々の愛が冷えて罪悪ははびこっています。終末を覚える時代に私たちは生きています。

私たちが神様とつながっていること、永遠の御国の内にあることを覚えることは何よりも重要です。この確信によって、どんなことがあっても私たちが揺り動かされることなく、日々に必要とされることを果たす力となっていきます。

Ⅰ.神様からの権威

先ほど読んでいただいたのは、ペテロの信仰告白と、続いてイエス様が教会について語られた有名な箇所になります。ここには神様から与えられる権威が記されています「あなたに天の御国の鍵を与えます」(19節)。イエス様は弟子たち、信仰者たちに天からの権威を授けられました。細かな話は多々ありますが、代表的なものを挙げます。

1)この世に遣わす宣教:12弟子の派遣(マタイ10:5~42他)、72人の派遣(ルカ10:1~16)。彼らは福音を宣べ伝え、病を癒し、神様の業を進めました。

2)この世からの聖別:最後の晩餐の席上でのイエス様の説教・祈りは長い箇所になります。弟子たちがこの世で神様の働きを進めるためにイエス様は聖霊を送る約束と、この世から潔め別たれることを語られました。

ヨハネ14~17章。「真理によって彼らを聖別してください。」(ヨハネ17:17)。この世に対して聖くあることによって、この世に力を持つことができます。

3)この世に教会を建てる:ペテロの信仰告白から語られたのがこの箇所になります(18節)。教会は目に見える建物、内部の調度品、集まる人々、献金による財的な基盤等が必要です。最も基礎になるのが私たち一人一人のイエス様が主であるという信仰告白です。

イエス様が弟子たちに授けられたこれらの権威は、正しい信仰によって、今も私たちに受け継がれています。

Ⅱ.神様にある告白

イエス様は弟子たちを隣国のピリポ・カイサリアに連れて行かれました。ユダヤではイエス様を必要としている群衆や、すきをうかがっている敵対者に囲まれています。イエス様はしばし人々から離れ、弟子たちに神様の真理を示すために外国まで来られました。

イエス様が語られたかった真理とは十字架の死とよみがえりでした「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」(16:21)。

イエス様は最初に、人々がイエス様をどう捉えているのかを聞かれました。答えはバプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、他の預言者とあります。次に、あなたがたはどう思うのかを尋ねられました。この問いかけは、私たち生きる者全てに問われている問いです。

一人一人が神様の前に真実に答える必要があります。ペテロが答えましたが、ペテロの答えは満点でした「あなたは生ける神の子キリストです。」(16節)。ペテロは素直で正直な性格ですが、自分の思いや力で行動して、たびたび失敗をしました(嵐のガリラヤ湖上で沈みかけた、変貌山で訳の分からない答えをした、大祭司の中庭でイエス様を3度知らないと言った)。

この時、ペテロが正答できたのは彼自身の何かによるのではなく、神様から答えが与えられたからです(17節)。聖霊による告白「また、聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(コリント第一12:3)ですし、イエス様と結び合わされることによる知恵なのです「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(コロサイ2:3)。

Ⅲ.神様の御国とつながる教会

イエス様はこの岩の上に教会を建てると言われました「そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」(18節)。

岩の意味に関して、ペテロ(石)、岩(ペトラ)をどう捉えるのかでカトリック教会とプロテスタント教会とでは大きな違いがあります。カトリックはペテロと岩を結び付け、さらにローマ教会の初代監督がペテロであり、初代のローマ教皇としています。プロテスタントはペテロとペトラは別の言葉であり、岩とはペテロの信仰告白、或いはイエス様ご自身としています。

この箇所は両者に分かれていますが、是非ではなくお互いの違いを認めることも大切なことです。イエス様はペテロの信仰告白を喜ばれました。救い主キリストへの信仰の告白が教会の基となることを語られています。ここで用いられた教会という言葉は、エクレシアというギリシャ語であり「呼び出された者」という意味です。

このエクレシアに対応するヘブル語は、カハルであり「神の民全体の集まり」の意味です。イエス様を救い主と信じる者が、この世から呼び出され、一つにされた集まりが教会なのです。教会は、闇の力によっても死の力によっても損なうことはできません。教会は天の御国につながっています。教会は御国の民の集まりなのです。

 私たちが正しい信仰を持ち、私たちが一つとされているなら、教会は天の御国と結ばれています。闇の力、悪の力が働く地上で、ここに救いがあり、ここに命があり、ここに平安があることを証ししていこうではありませんか。

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