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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:久保直基兄  奏楽:松下真由美姉

前奏              奏楽者
開会唱           聖366    聖歌隊
招詞              ホセア6:1~3司会者
賛美              新10(聖ナシ)        一同
主の祈り    新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)〃
使徒信条    新826頁   〃
交読文             6(詩篇第22篇)883頁(新改訳)〃
祈祷        司会者

賛美              新445(聖615)          一同
合唱              「とくきませ」     聖歌隊

聖書              使徒の働き1:9~11油井万里姉
説教              「天に挙げられる主」 井上義実師
                信仰の継承9赤山講話10
祈祷                                  一同

賛美              新348(聖729)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                  牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「天に挙げられる主」井上義実師
聖書箇所:使徒の働き1:9~11

 バックストンのこの説教は霊想と言える内容です。後からゆっくり読んでいただきたいです。信仰の継承の主題の時の何時もと同じように、今朝はバックストン師の説教を基として、私が導かれる中で語っていきます。

Ⅰ.見えるイエス様から見えないイエス様へ

 イエス様は神様の時が満ちて、肉体を持ってお生まれになりました。愛弟子のヨハネはイエス様に関して、自分が聞いたもの、自分が見たもの、自分が手でさわった御方であると言っています(ヨハネ第一1:1)。地上にお生まれになった、イエス様の肉体の命は十字架の上で絶たれました。

3日後によみがえらされたイエス様の復活の体は、扉を閉ざした家の中に入ってこられたように、この世のものを超えていました。イエス様の復活の体は見えるものであり、食事も共にされています。イエス様が地上にお生まれになった初めから、私たちが見える姿でお出でになり、私たちが分かる言葉で語られています。それは、私たちが神様を知ることができるように、私たちが神様の真理を理解するためでありました。神様は救いを表すためにも、私たちを考えてくださっている恵み深い御方なのです。

 今日の聖書箇所は、復活のイエス様が40日の期間が過ぎ、天に帰られる光景です。今まで復活の体を持たれながらも、見えていた御方が、見えなくなってしまいます。私たちから失われた、私たちと関わりがなくなったのではありません。見えていたイエス様は、私たち人間と同じように制限がありました(時間、空間等)。見える姿のイエス様は限られた人にしか関われません。

見えない姿のイエス様は何の制限もなく、全ての人に関わることができるのです。弟子のヨハネのように、肉体を持ったイエス様と出会い、イエス様を見られた人たちは幸いです。今、イエス様の姿は見えないですが、世界中の全ての人に届くことができる、もっと大きな恵みが現されているのです。

Ⅱ.地上のイエス様から天上のイエス様へ

 復活されたイエス様は、天に帰られましたが、今は何をなされているのでしょうか。3つにまとめます。

 1)神様の右、勝利の座に着かれている

「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」(詩篇110:1)とあります。使徒の働き第2章で聖霊が降り、ペテロが代表してエルサレムの人々に語りました。この時にイエス様の復活の証明としてペテロはこの言葉を引用しました。イエス様は地上で神様の御心を果たされ、天に勝利の凱旋をされ、神様の栄光を受けられています。

 2)私たちを執り成してくださっている

   「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」(へブル7:25)とあります。

私たちの救いの道をイエス様は開かれ、その道へと導いてくださいます。地上で、私たちと同じ試みに会われたことによって、私たちを理解し、助け出してくださいます「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:15-16)。

同じ人間である地上の大祭司ではなく、人間をはるかに超えた天上の大祭司として仲保者の働きをされています。これほど、確かな助けはありません。

 3)教会を満たしてくださっている

   イエス様は私たち一人一人の救い主です。救われた者の群れであ、教会のかしらでもあります「また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。」(エペソ1:22)。

その上に、教会の内にイエス様が満ちておられる御方です「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:23)。私たち一人一人の内に信仰によって満ちてくださるイエス様は、私たちが属している地上の教会の内に満ちてくださっています。

イエス様が天に帰られて私たちの目に見えなかったとしても、私たちを深くかえりみていてくださり、関わっていてくださり、私たちの歩みが神様につながっているようにと導かれていることを心から感謝しましょう。

Ⅲ.神様の栄光から栄光へ

 イエス様の昇天は、十字架と復活の栄光より、さらに大きな栄光であるということを話してきました。そして、今も、神様の救いの歴史は成し遂げられていく過程にあります「父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。」(ヨハネ17:24)。

私たちの救いの完全な成就は、新天新地の完成にあります「聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。都には神の栄光があった。」(黙示録21:10-11抄)。全てが新しくされ、天から降ってくる新しい都、聖なる都エルサレムには、神様の大いなる栄光が輝いています。私たちもその栄光の輝きに招かれ、導き入れられます。

 私たちもその栄光に与る者として、大いなる恵みを喜び、伝えていきましょう。

 

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