出席連絡
前奏 奏楽者
開会唱 聖366 聖歌隊
招詞 ピリピ2:6~8司会者
賛美 新18(聖ナシ) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ)〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 8(詩篇第24篇)885頁(新改訳)〃
祈祷 司会者
賛美 新260(聖460) 一同
合唱 「雨を降り注ぎ」 聖歌隊
聖書 イザヤ43:18~44:5藤本薫姉
説教 「新しい事が起こる」 井上義実師
信仰の継承10雪のように白く5
祈祷 一同
賛美 新436(聖528) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番
頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷牧師
閉会唱 聖389(新ナシ) 聖歌隊
後奏 奏楽者
報告 司会者
※パソコンでの追従無し
※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します
説 教 題:「新しい事が起こる」井上義実師
聖書箇所:イザヤ43:18~44:5
バックストン著作集第2巻「雪のように白く」はバックストン師最後の来日時1937年の説教が収められており、円熟を感じます。第2巻「雪のように白く」はバックストン記念霊交会刊の「雪の如く白く」「砂漠の大河」「基督の形成るまで」の3冊と、活水の群れの機関紙「活水」に収められた説教が加えられています。
今日の説教の聖書箇所は活水誌の「新しいみわざ」と同じです。バックストン師の代表的な説教と言えます。私はいつも説教集の引き写しで話をしている訳ではありません。導かれる中で話をしていますので、原文は是非、手に取って読んでいただきたいです。
Ⅰ.乾いた地に水が流れる
イザヤは南王国ユダで長く神様に仕え、その間には北王国イスラエルの滅亡を経験しました。イザヤの時代には、アッシリヤの脅威が身近にありました。今朝は、イザヤの時代を超え、空間を超えて私たちに語られていることに耳を傾けましょう。
当時の社会は「潤いのない地…乾いたところ」(44:3)という状態でした。現代の日本も同じではないでしょうか。目に見える外側は豊かで美しいでしょうが、目に見えない内側は問題が山積しているかのようです。乾いた命のない世界ではないでしょうか。多くの人たちが痛みを負い、乾きの中であえいでいる、今にも倒れようとしている世の中に見えます。
政治や経済はその方たちに任せますが、人の心や魂を潤し、活かすのは神様なのです。「わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。」(44:3)とおっしゃっています。
イザヤの時代を越えて、私たちは、今イエス様が現れてくださっており、イエス様の恵みによって、神様の恵みである聖霊の豊かな流れに浴することができます「生ける水の川が流れ出る」(ヨハネ7:38)。私たちの心と魂は、イエス様と出会うことによって、イエス様の恵みによって潤され、満ち足りることができます。
Ⅱ.神様の声に聞く
神様はユダの人々に告げられます「今、聞け。」(44:1)。この接続の「今」は逆接の「しかし」が含まれています。今、目に見える状態が、どんなに乾いた潤いのない地であったとしても、神様は全てを押し流す豊かな水の流れを注がれようとされています。このことが、「しかし」という意味なのです。
神様の「今」はとても重要です。今この時の「時」という意味でもあります。伝道者の書3章には28の時が出て来ます「生まれる、死ぬ、植える、抜く…」。イザヤの時代のユダは良い時だったでしょうか。神様はこの時のユダの人々に「疲れ果てた」(43:22)、「あがめようともしなかった」(43:23)と不信仰を指摘されています。「あなたの罪…あなたの咎」(43:24)と不義に染まっていた悪い時でありました。
最初に、「今」には「しかし」(44:1)が含まれていると言いました。ユダの人々の不忠実にも関わらず、神様は心を留めない、目を留めない(44:18)と言われています。神様はユダの人々に、ご自身の愛に、真実に立ち返れと招かれています「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。」(35:10)。
今イエス様が現れてくださった、私たちの贖いの保証はイエス様ご自身にあります(エペソ1:7)「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」。
Ⅲ.新しい事が起こる
今の時代は誰も想像しなかった、複雑な局面を迎えています。世界的なパンデミック、国と国との戦争、異常な自然災害、技術の急速な進歩、貧富の格差、… 今までの経験や知識では越えられないものもありますし、何かが起これば世界中が巻き込まれていきます。
不透明、不確実で、次の時代への不安や恐れがあるでしょう。しかし、愛であり、善である神様が「見よ、わたしは新しいことを行う。」と言われています(43:19)。無から有を産み出してくださった創造の神様だからこそ「荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」(43:19)と言われたことを実行していってくださいます。野生のジャッカルやダチョウさえも神様を崇める(43:20)のであれば、私たち人間は認めざるを得ない程の大きな業をなされます。
その日には、誰もが神様に目覚め、神様にひれ伏すリバイバルが起こります。今はクリスチャンが少数派ですが、誰もが喜んで「私は主のもの」(44:5)と証しをする日が来ます。私たちはその日を信じて、今できることを精一杯果たしながら、祈りながら待ち望んでいきましょう。
「これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を行えば、だれがそれを戻せるだろうか。」(43:13)
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