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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:藤村侑兄  奏楽:藤村陽子姉

前奏                                  奏楽者
開会唱             聖366            聖歌隊
招詞              マラキ4:2~3        司会者
賛美              新38(聖195)           一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             51(マタイ5章)920頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新70(聖ナシ)            一同
合唱              「道を歩いていると」      聖歌隊

聖書              イザヤ11:1~10  藤本薫姉
説教              「救いの完成を待ち望む」井上義実師

祈祷                                  一同
                -聖餐式-

賛美              新464(聖621)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

説 教 題:「救いの完成を待ち望む」井上義実師
聖書箇所:イザヤ書11:1~10

主イエス様の降誕に備えて、待降節・アドベントも第二節を迎えました。今週末はメサイア公演開催となります。満堂の会衆が集われますように、宣教の機会として用いられますように、表舞台も裏舞台も全てが整えられ、主の大いなる栄光が表されますように祈り、期待し、備えましょう。

Ⅰ.イザヤの語る救い主

預言者イザヤは神様に長く仕えました(ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、約50年間の預言活動)。その間に、アッシリアによる北王国イスラエルの滅亡を見、南王国ユダも決して安泰ではない、亡国の危機にある時代に主の御旨を語りました。

イザヤが預かった神様の使信の中心は、やがて起こるエルサレムの陥落、南王国ユダの滅亡、ユダの民のバビロン捕囚、バビロン捕囚からの解放、救い主メシアの誕生、救い主メシアの御業、救い主メシアの再臨による永遠の御国の完成でした。永遠につながっている神様の救いの歴史、その全幅を語ったスケールの大きな預言者でした。

イザヤのメシア預言は「メサイア」に歌われています。7・8章のインマヌエル預言、9章のひとりのみどりごの預言、そのつながりが今朝の11章になります。

Ⅱ.降誕される救い主 1~5節

救い主はダビデの血統から生まれるとユダヤ人は考えていました。先ほど読んでいただいた1節には「エッサイの根株」とあります。エッサイはダビデの父です。ここで、立木が切り倒された根株には、希望はないでしょう。

しかし、そこに新しい希望が生まれる「新芽が生え、…若枝が出て実を結ぶ。」(1節)のです。新約聖書の第1ページ、マタイの福音書第1章に系図が出てきますが、救い主イエス様は、目に見える肉による系図ではダビデの血筋と言えます。

イエス様は、私たちと同じ人間の誕生ではありません。ユダヤ人の目にはダビデの家系であっても、天から降って誕生されたのです。エッサイの根株を超えて、天からの新しい命がもたらされたのです。この世の関係を超えた、神の子の霊的な誕生であることをこの言葉は示しています。

2節には、この救い主が豊かな霊に生きる御方であると記されています。「主の霊がとどまる」とあります。メシアの本来の意味は油注がれた者という、選ばれ、任命された者という意味です。聖書で油は聖霊の象徴ですから、聖霊の豊かな注ぎによって救い主に任命された者ということです。

「知恵と悟りの霊」とは、神様からの知恵と知識によって真実を見分ける力を持たれているということです。

「思慮と力の霊」とは、知恵と知識を実行する分別と具体的な力に満ちておられるということです。「主を恐れる、知識の霊である。」救い主は御一人で行動されず、聖霊によって父なる神様と一つとなり働かれます。父なる神様に従う姿勢を、私たちに身をもって教えておられるのです。

3節以降は神様による正義と公正による裁き、罪に定められることが強調されています。ここから、うかがい知れるのは、当時の社会が、如何に不正、不真実がまかり通っていたのかということです。この救い主はイザヤの預言通りに700年後にベツレヘムにお生まれになりました。

Ⅲ.救いを完成される救い主 6~9節

さらにこの世を超えて、この世のものではない、救い主による神様の支配、ユートピアのような世界が描かれています。肉食動物(狼、豹、若獅子、熊、獅子)と草食動物(子羊、子やぎ、子牛、肥えた家畜、牛)が草を食べて仲良く暮らし、乳飲み子、幼子を害獣(コブラ、まむし)が襲うこともありません。

創世記1:29・30では、創造の始めには全ての生物は草食であったことが分かります。ここで描かれているのは、天地創造の世界に一挙に戻ることが示されています。ここで描かれた世界がそのままに起こるのかどうかは分かりませんが、完全な平和と秩序がもたらされることは事実です。

6節には「小さな子ども」が牧者となることが記されていますが、ベツレヘムにみどり子としてお生まれになった救い主イエス様ととることができます。救い主が仰がれ、救い主が導かれる世界は、被造物全てが互いに平和に穏やかに暮らすことができる世界なのです。

イエス様は既にお生まれになりました。御自身の十字架と復活によって、私たち一人一人の救いを成し遂げてくださいました。その救いに与るためには、一人一人の個人的な応答が必要とされます。神様と私という関係が築かれるならば、私たちに神様の平安と永遠の約束が与えられます。この大きな恵みに感謝しますが、個人の安らぎに留まることでもありません。

イエス様は再び来られ、全ての悪を滅ぼしてくださり、世界が新たにされ、救いは全てのものに及びます。今この時、この世界には、悪しき力が世界をむしばみ、人間の社会も、自然界も呻き苦しんでいますが、神様は全世界の救いを完成してくださるのです。

救い主イエス様は「もろもろの民の旗として」「栄光に輝く」(10節)御方として、再び来られます。その日まで、世界は痛み、破れ、苦しみはありますが、私の主として仰ぎ望み続けましょう「ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。」(黙示録14:12)。

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