聖書各巻緒論44,新約5,歴史書
説 教 題:「主の日が来るまで」       井上義実師
聖書箇所:使徒の働き1:1~11

聖書各巻緒論は新約聖書を進めています。4福音書が終わりました。続いて使徒の働きを見ていきましょう。

Ⅰ.神様に導かれて


 使徒の働きは、ルカ福音書で話した通りに、ルカが福音書に続く第二巻として、イエス様の昇天、聖霊降臨、初代教会の誕生と発展を記した歴史書です。イエス様は信じる者たちと共に働かれました(マルコ16:20)「弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。」。イエス様が約束されたお言葉の真実が、を明らかにされていきます。この神様の歴史が記されています。主の働きは、聖霊によってなされていったことが証しされています。
最終章はパウロのローマ到着とその働きが記されて閉じられます。紀元70年に起こったローマ軍によるエルサレム陥落や、紀元64年以降の皇帝ネロによる迫害にも触れられていません。これらのことから、使徒の働きは紀元60年代初頭に書かれていると言えます。一般の歴史書ならば、その書が記す時代を、できるだけ満遍なく公平に描くという視点を持って記すでしょう。しかし、使徒の働きは、前半はペテロが中心、後半はパウロが中心に描かれています。この時代の教会が成し遂げていった宣教の全体像は見えません。神様が後世のクリスチャンたちに必要だとされた教会の歴史が、全28章にまとめられています。それは、使徒の働きを読めば、教会の働きにとって不可欠なことがらを学び取っていくことができるということです。

Ⅱ.主の言葉に導かれて


 イエス様は聖霊によって弟子たちに宣教の働きを委ねられました。福音の宣教はどのように進んでいったのでしょうか。

1)救いの歴史の発展


1章はよみがえられたイエス様から始まります。イエス様が天に上げられ、祈り求める弟子たち、信じる者たちに聖霊が降りました。私たちは聖霊によって救いに与ります(コリント第一12:3)「ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも『イエスは、のろわれよ』と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」。聖霊によって神様の真理を知ることができます(ヨハネ16:13)「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。」。聖霊によって、宣教の働きは進められていきます(使徒2:4)「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」。ここで話を聞いた人々は、(使徒2:11)「私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは」と言っています。彼らは聖霊によって福音を大胆に語ったのです。

2)地理的な発展


 使徒の働きは初代教会の発展の歴史です。大きく見ていきますと、1~7章は舞台がエルサレムです。8~9章はユダヤ、サマリア地方です。10~28章はカイサリアから始まって地中海世界、ローマに至ります。(使徒1:8)「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」というイエス様の約束の言葉が、文字通りに成し遂げられていきました。

3)神様の恵みの発展



 使徒の働きは初代教会の歴史です。初代教会へ宛てられた手紙からも各教会の信徒が聖霊によって生かされた事実を見ることができます。御霊の実は(ガラテヤ5:22・23)「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」、御霊の賜物は(コリント第一12:4-11)「知恵のことば、知識のことば、信仰、癒し、奇跡、預言、霊を見分ける、異言、異言を解き明かす」、(ローマ12:6-8)「預言、奉仕、教え、勧め、分け与える、指導、慈善」が挙げられています。初代教会にはこれらの実が聖霊によって結ばれていったのです。

Ⅲ.神様の時に導かれる


 使徒の働きはイエス様の昇天に始まって、残された弟子たち、信じる者たちが聖霊によって強められ、宣教の働きが進められていきました。今も使徒の働きは続いています。私たちもその先端を担っているのです。使徒の働きが終了するのは、主イエス様が再びこの地上に戻られる時までです(使徒1:11)「そしてこう言った。『ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。』」。主イエス様が再び来られる日が来るまで、私たちは互いに励まし合い、主の業を進めていきましょう。
主の昇天を見届け、初代教会の礎となったペテロもこう言っています(ペテロ第二3:8-13)「しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」。

 主イエス様が来られる日まで、私たちに託されている主の業に励み、使徒の働きの続きの章を記し続けていきましょう。