聖書各巻緒論48 パウロ書簡4
説 教 題:「神様による自由」    井上義実師
聖書箇所:ガラテヤ5:1~6

 聖書各巻を1回ずつの説教で語ってきましたが、新約聖書・パウロの手紙4通目のガラテヤ人への手紙になります。M.ルターは信仰義認をテーマにしたこの手紙を重んじていました。ユダヤ人に与えられてきた律法ではなく、イエス様の十字架と復活による福音によって、信仰を通して恵みによって救われ、さらに聖霊によって実を結んで生きることが明確に記されています。

Ⅰ.恵みの福音を信じる


 ガラテヤ人への手紙は内容そのもの、あるいは区分や著者について、他の手紙と比べるなら議論されることは多くはありません。以前より、ガラテヤが地理的にどこを指しているのかが問われ、北ガラテヤ説、南ガラテヤ説があります。小アジアの中部から北部にかけて、黒海沿岸に至るまでの北ガラテヤを指すのが北ガラテヤ説です。もう一つ、ローマのガラテヤ州を意味する北部からデルべ、リステラ、イコニオン、ピシディアのアンティオキアといった町々のある南部までも含めて広い範囲の南ガラテヤを言うのかが論じられてきました。北ガラテヤ説、南ガラテヤ説の何れを取るかで、使徒の働きに照らしてパウロの執筆年代が変わるので重要視されてきました。
 この手紙は、ガラテヤの信徒たちの間に「ほかの福音に移って行く」(1:6)という状況が生まれてきたことによって書かれています。パウロがここで言っているように福音は一つでほかの福音などはない、間違った福音に彼らが陥っていたということです。これは黙って見過ごすことのできない危機的なことです。ガラテヤ教会には福音の恵みによる救いではなく、律法の行いによる救いというユダヤ主義的な教えが入り込んでいました。ガラテヤ教会では、ユダヤ人以外のキリスト教回心者に割礼さえ受けさせていたことへ真っ向から反論しています「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」(6節)。
 違った福音が説かれ、行われていることへの重大性からこの手紙はかなり強い調子で信仰による救いが伝えられています。

Ⅱ.信仰によって実を結ぶ


 間違ったユダヤ人教師による律法主義が、ガラテヤ教会で力を持っていたことに対して、パウロは「律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。」(2:16)と改めて主張しています。私たちにとって当たり前のことがガラテヤ教会では歪められてしまっていたのです。
私たちは律法によっては、神様の命に至ることはできません。しかし、信仰によって義とされ、義とされて神様に生きる者となることは、イエス様が内におられる生き方に導かれます「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」(2:19・20)。
さらに、イエス様と共に働かれる聖霊は私たちに、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制という、実際的・実践的な御霊の実を結ばせてくださいます(5:22-26)。イエス様の内に生かされている私たちは、御霊の実によって外に向かって神様の恵みを表していくことができます。

Ⅲ.結ばれた実を生かす


 神様の恵みに対する信仰によって、私たちの内にイエス様が生きてくださいます。さらに、聖霊はイエス様にある御霊の実を結ばせてくださいます。これらは自己満足、自己充足のためにあるのではありません。互いに仕え合うために、隣人の益のために用いられていきます「兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことばで全うされるのです。」(5:13・14)。このことを実践していく力を与えてくださるのです。
イエス様は私たちに自由を与えてくださいました(1節)。何からの自由でしょうか。私たちを縛りつけていく罪からの解放、私たちを恐れさせる死に対する解決、内なる自由・魂の自由が神様からの恵みとして与えられます。この自由を喜び、感謝をもって神様に仕え、人に仕える者になることです。自ら進んで、喜んで神様と人のために生きる者へと変えられていきます。歴代の聖徒たちが歩んだ、永遠につながっていく最も素晴らしい生き方なのです。

 ガラテヤ人への手紙は、神様の恵みによる救い、救われた者の歩みが明らかです。現代は政治、経済、産業も混沌とした先の見えない時代です。人の心も荒んでいる、愛が乏しい時代の中にあって、私たちへの神様の明確な指針がここにあります。神様を喜び、神様の御心に従って、それぞれになすべきことを果たしながら、歩んでいきましょう。