聖書各巻緒論47・パウロ書簡3
説 教 題:「神様との和解の使者」    井上義実師
聖書箇所:コリント第二5:13~21

 聖書各巻緒論は、先週がコリント人への手紙第一でした。今朝は続いてコリント人への手紙第二になります。

Ⅰ.コリント教会とパウロ


 先週話しをしましたように、コリント教会は大きな問題を抱えながらも、アカイアの有力な教会として導かれていました。パウロはコリント教会を心にかけ続けていました。聖書に残された2通の長文の手紙以外にも、少なくとも2通の手紙(手紙第一5:9「前の手紙」、2:4「涙ながらにあなたがたに手紙を書き」)を書き送っています。コリント人への手紙第一にはテモテがパウロの使者として派遣されたとありますし、コリント人への手紙第二ではテトスが遣わされたことが出てきます。テモテ、テトス両者共にパウロの心と言える愛弟子でした。パウロはコリントの町を伝道旅行で2回訪問していますが、3度目の訪問(12:14)の準備をしていました。パウロの伝道旅行によって生まれた教会の中で、パウロがここまで心を砕いた教会は他にはなかなかありません。

Ⅱ.コリント教会の新たな問題


 その中で、コリント教会には新たな火種が生まれてきました。初代教会での大きな問題の一つは、宣教の範囲が広がって異邦人が救われていく恵みと、同時にユダヤ人の中からもイエス様を信じるユダヤ人信仰者による律法主義への揺り戻しがありました。この問題はガラテヤ人への手紙に詳しいですが、他の同じ文化圏にあるヘレニズム教会にも、大小の差はあれ律法主義が及んでいました。
この手紙でも3章では、十戒が刻まれた石の板は人の心の板に記されるようになった(3:3)とあります。律法が無くなったのではありません。律法は単なる文字としての存在ではなく、律法は私たちの心に刻み付けられ、心の内に持つ者とされたのです。今や、救いを成し遂げられたイエス様の栄光、人を照らす福音の光、聖霊による愛と力と命に、私たちは生かされています。
もう一度、自らの救いについて行いを数え、自分は救われているのだろうかと、おびえと不安を持って歩む者ではないことをパウロは語っています。しかし、これら律法主義者はパウロに激しく反論し、パウロを侮辱し、卑しめる者であったのです。パウロは、この手紙でも彼らの誤りを厳しく正しています。

Ⅲ.コリント教会への光

 

パウロはコリントの人々に福音の輝きの中に歩むことを切々と語っています。
「私たちはこの宝を土の器の中に入れています。」(4:7)、
「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(4:16)、
「地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがある」(5:1)、
「今は恵みの時、今は救いの日です。」(6:2)、
「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。」(6:10)、
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(8:9)、
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」(12:9)、
「私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。」(13:8)、
 他にも、もっと多くを挙げることができます。この手紙は個人的な私信ではなく公の手紙ですから、コリントの諸問題の処方箋として記されています。また、パウロが持っていた福音の理解、福音の実践をつぶさに知ることができます。

 今朝の聖書箇所では、イエス様の尊い愛によって、新しく造り変えられ、新しく生まれた者は神様と和解を受けられること、神様との和解の恵みに生きていくことが語られています。神様との和解を受けた者は、その証しをすること、この世に遣わされていくことが語られています。和解という言葉がいかに難しいかと思える時代です。イエス様は私たちの世界にまで降ってくださり、神様との和解のためにご自身をささげられました。同じ地平に生きている者同士が和解できないはずはないでしょう。私たちも神様の恵みによって強くされ、分断や混乱の時代に、和解の使者として、この世に遣わされていきましょう。