聖書各巻緒論43、新約4、福音書4 
説 教 題:「神のいのちを持つ」 井上義実師
聖書箇所:ヨハネ福音書3:5~21

  ヨハネ福音書は新約聖書の第4巻、福音書の最後になります。ヨハネ福音書は第四福音書と呼ばれます。特別なことが無い文字通り、4番目の福音書という意味ですが、そこには大きな違いがあることを分かっていただきたいのです。最初の3巻、マタイ、マルコ、ルカの各福音書は共通項が多く、共観福音書と呼ばれます。ヨハネ福音書を読まれるならば、先の3巻と書き方、内容がかなり違うことに気づきます。ヨハネの個性、文章表現はもちろんありますが、書かれた時期、書かれた意図が違います。

 福音書が書かれた順番は聖書の並びと少し違ってマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネです。マタイからルカまでは初代教会の時代でも、比較的穏やかな時代でイエス様の伝記を正確に記して後世に伝えるという主目的だけで十分でした。ヨハネが福音書を記した時代は、長く続いてきた社会・文化に影響を与えるヘレニズムが強まることによって、キリスト教が外部から脅かされていました。初代教会の中から異なった教えを説く異端、主なものはグノーシスが生まれてきて内部からも揺さぶりがある厳しい時代であったのです。これらに対抗してヨハネは福音書を書いています。そこから他の福音書との違いが生まれています。ヨハネによって最後に記された福音書の独自性を見ていきましょう。

 

Ⅰ.ヨハネが導かれたこと

 ヨハネ福音書はイエス様の弟子ヨハネが記しました。ヨハネは、ガリラヤ湖の漁師ゼベダイの子、兄はヤコブです。ペテロ、ヤコブ、ヨハネは12弟子の中で重要な場面で選ばれ(ヤイロの娘のよみがえり、変貌山、ゲッセマネの祈り)、イエス様の元にあって重んじられていました。ヨハネは、12弟子中一番若くして加えられ、他の弟子たちが殉教の死を遂げても最後まで生き残りました。使徒の働きにはヨハネは出てきませんが、初代教会を支え、後年はエペソ教会で、福音書、3通の手紙、黙示録を残しました。

ヨハネ福音書でヨハネは、ユダヤ人として旧約的な背景から書き起こして(1:1は創世記1:1との対照、以下にも旧約からの引用は多数に上る)、民族を超えた全世界の救い主イエス様を指し示しました。ヨハネの時代、初代教会はヘレニズムという世俗思想、異端であるグノーシスとの大きな戦いが始まっていました。他の福音書と比べてヨハネが多用した「愛、真理、光、あかし、とどまる」といった語もこの世に対して、神様の真実を証しする言葉です。ヨハネが戦った戦いは、さまざまな思想、宗教があふれている、現在に正につながっています。

Ⅱ.ニコデモが導かれたこと

 ヨハネ福音書の特長は多くありますが、その一つは人にスポットを当て、個人がどのように神様に導かれたかを明らかにしています。今朝、開かれました3章のニコデモはパリサイ人、サンヘドリン議員、教師、年齢的には年配でした。ニコデモは、自分たちの世界に凝り固まった他のパリサイ人と違い、人目をはばかってとは言え、イエス様に教えを乞いにきました。ニコデモは偏見を持たず、目が開かれていたと言えます。イエス様はニコデモに神様の真理を大胆に語られました。人は聖霊によって新しく生まれ、永遠の命を得ることができるという事実です。それは、肉体の誕生ではなく、霊的な誕生を意味しています。

イエス様は、モーセに率いられた荒野の旅でのイスラエルの民の反逆の際、青銅の蛇を仰いだ者は生き延びた話をされました(民数21:9)。これは、イエス様ご自身の十字架の贖いの死を表していました。ニコデモは理解できずに、頭を振りながら帰っていったことでしょう。しかし、イエス様はニコデモがやがては神様の真理を理解し、新しく生まれる日が来ることを見通しておられました。この後、イエス様の言い分も聞くべきであると主張した7:50からの弁明、アリマタヤのヨセフと共にイエス様のご遺体を引き取った19:39のイエス様の葬りから、ニコデモがイエス様に近づけられていったことが分かります。

Ⅲ.神様が導かれたこと

 ニコデモの話の続きとして聖書で最も有名な16節、以下の説明が出てきます。イエス様がニコデモに対して、荒野で掲げられた青銅の蛇の話をされたように、イエス様は十字架に架けられ命を捨てられます。それはたまたま起こった悲劇ではなく、尊い神様の救いのご計画によるものです。十字架に上げられたイエス様を救い主として仰ぎ望む者は誰でも救われ、永遠の命に生きるという、この世で最も偉大な真実なのです。私たちは、ここを新しい起点として、神様の愛の内に生きることができます。神様の光の内に歩むことができます。神様の真理に従って進むことができます。ヨハネはこの福音書を記した目的を20:31に記しています「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」。ヨハネ福音書は、人を救い、人にイエス様の道を伝えるために書かれています。

 ヨハネ福音書の背景もお話してきました。私たちは21世紀のほぼ4分の1を過ごしてきました。現代は、多くの価値観、多くの思想、技術の革新、社会の変革が入り乱れている混迷の時代です。ヨハネは平和な時代に生きたのではなく、変革の時代、不確かな時代に神様に仕えています。ヨハネ福音書はこの時代にこそ読まれるべきであり、私たちはここから永遠に至る指針を見いだしていくことができます。