出席連絡
司会:丹羽琢也兄 奏楽:松下真由美姉
入堂
静思
前奏 奏楽者
招詞 ヨハネ10:10b~11 司会者
賛美 新2(聖484) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 35(詩篇第110篇)908頁(新改訳)〃
祈祷 司会者
賛美 新317(聖493) 一同
聖書 詩篇23篇 植村奈美姉
説教 「信頼の歌をうたおう」 田上篤志師
祈祷 一同
賛美 新206(聖ナシ) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番
頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者
説 教 題:「信頼の歌をうたおう」田上篤志師
聖書箇所:詩篇23篇
1.信頼の歌
詩篇は、その内容によって「感謝の歌」「嘆きの歌」「悔い改めの歌」等々に分類されます。第23篇は「信頼の歌」の一つとされています。
神によって養われ、守られる祝福を羊飼いと羊の様子に譬えた文章からは牧歌的な印象を受けますが、「死の陰の谷を歩むとしても……」や5節以降の家の主人の譬えにある「私の敵をよそに……」という言葉が示しているように、危機と困窮との闘いで体験された神による慰めがこの詩篇を生み出しています。
そして、静かではありますが力強く、神への信頼を告白する歌となっています。この詩篇に心を合わせ、この朝、神さまへの信頼の歌をともにうたいたく思います。
2.「あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです」
こう歌いながら詩人は、あることを強調しています。
羊飼いは羊を守るためにむちを、また羊を導くために杖をもっていますが、この道具の意味を羊は知っていたのでしょうか。むちと杖を見て――これは私たちを守り導くためのものだ、とわかっていたのでしょうか。むちと杖を羊に見せてやれば、羊はそれで安心して落ち着くのでしょうか?そんなことはないでしょう。
そこで、実際に羊の目にはむちや杖がどういうふうに見えていたのかを想像してみましょう。羊の目の高さというのは60センチぐらい。むちは揺れ動くロープのようなものとして、杖は一本の立った棒として見えたことでしょう。重要なことは、こうして見えるむちと杖のすぐ側に必ず見えるもう一つのものを羊たちは見ていたということです。羊飼いの足です。
詩人は「あなたの」むち、「あなたの」杖と歌いながら、その道具の使い手である羊飼いの存在を強調しています。そして、必ず側にいてくれる羊飼いを根拠に信頼を込めてうたうのです。「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。」
3.十字架
ある人がこんな意味のことを言いました。「もし、キリストの贖いの死が、18世紀のフランス革命の時代に起こっていたら、今頃、世界の教会堂の屋根には、ギロチンを象ったシンボルが掲げられていたであろう。」一瞬、ぎくりとさせられる話ですが、改めて覚えさせられるのは十字架とは、紛れもなく死刑のための道具であったということです。
その十字架が、私たちに慰めを想い起こさせる助けとなるのは、十字架を見るときに、そこにもう一つのもの、いいえ、ひとりのお方の姿を信仰の目で見るからです。わたくしどものためにみ苦しみを受けて下さったキリストの姿をです。
そのキリストを仰ぎながら、感謝と信頼を込めて、うたい、告白しようではありませんか。「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。」
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