礼拝出席

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください


 

招詞              詩篇36:7~9        司会者
賛美              新36(聖289)       一同
主の祈り    新826頁           〃
祈祷唱     聖373(新ナシ)           〃
使徒信条    新826頁           〃
交読文     31(詩篇第100篇)904頁〃
祈祷                                      司会者
賛美              新215(聖391)          一同
聖書              マタイ13:1~16  沖加奈姉
説教              「天の御国の弟子となる」井上義実師
                御国が近づいている(2)
祈祷              一同
賛美              新389(聖502)      一同
献金
献金唱     聖378(新ナシ)            〃
感謝                                      当番
頌栄              新63(聖383)     一同
祝祷                  牧師
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

御国が近づいている(2)

説 教 題:「天の御国の弟子となる」井上義実師
聖書箇所:マタイ13:1~16

 本年の説教テーマの一つ「御国が近づいている」の第2回となります。第1回は、マタイ6:5~15より「御国が来ますように」と題して語りました。主の祈り「御国を来たらせたまえ 御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ」の元になる箇所です。

イエス様が福音を語られたことによって、地上に御国が到来しました。地上の御国は、私たちの宣教の働きによって拡大されていきます。このことが、やがて終末に現わされる神の国の完成を早めることになるのです。私たちは、神の国の福音の宣教に励もうと語りました。

Ⅰ.天の御国のたとえ

 イエス様は人々に多くのたとえ話で話をされたことは、とても興味深いことです。学者・論者が、書斎にこもって生み出す思想ではありません。目の前の身近なできごとから真理を明かされました。空の鳥、野の花のような生物、ぶどうや麦のような作物、嵐や夕焼けのような自然現象、家族や人間関係から話をされました。

ただの道徳・戒めではありません。姦淫の女性が引き立てられてくる緊急の場面でも、普通では考えられないゲラサの狂人であっても、その場で必要な対応をなされました。人が生きるその場に深く根差しておられたのです。

 たとえ話を語られる際には、語る相手の心や思い、その人の状態をイエス様は良くご存知で、最も的確な話を語られました。

また、たとえ話は真実を求める者にしか意味が悟れないという側面もありました(12~17節)。学識のある律法学者やパリサイ人が悟れなくても、無学な弟子たち、群衆たちが求める心を持っていれば神様の真実が開かれて行きました。皮肉なことですが、逆転現象がそこに起って行きます。

マタイ13章でイエス様は天の御国に関して、7つのたとえ話をされました。天の御国に入るために、地上の生活においてどうあるべきかをイエス様は他方面から話されています。

「天の御国の奥義」(11節)に私たちも与りたいと心から願います。7つのたとえ話とは種まき(3~23節)、毒麦(24~30節)、からし種(31・32節)、パン種(33節)、隠された宝(44節)、良い真珠(45・46節)、魚を集める網(47・48節)をそれぞれに題材にされました。最後に49~52節の言葉で締めくくられました。

私たちはイエス様を通して語られた尊い福音を、宝や真珠のように大切に守っていくべきことが分ります。イエス様の十字架の死によるあがないによって、罪赦され、神の命に生かされている者としての歩みを全うしていく者です。私たちに与えられた神の命は、良い地に落ちた種のように、ごく小さくあってもからし種が成長するように、わずかなパン種がパン全体をふくらませるように、私たちを成長させ、豊かな実を結ぶことができるのです。

 

Ⅱ.種まきのたとえ

 種まきのたとえはマルコ4章、ルカ8章にも記載されています。13章の7つのたとえ話の中で最も長い説明がされています。天の御国を目指す者の地上での信仰のあり方が分りやすく語られています。繰り返し、子どもたちにお話をする聖書箇所の一つです。

種をまく人、農夫は神様です。まかれた種はみことばのことです。まかれる地面は4種類あります。地面は私たちの心を表しています。何れかの心に私たちは当てはまります。

1)踏み堅められた道端、まかれた種は地面の上にあって鳥が見つけて食べられてしまいます。

2)土は薄く石ころだらけの地、種は直ぐに芽を出すことができましたが、根を伸ばすことができずに枯れてしまいます。

3)いばらの種が含まれた地、種は芽を出して成長しようとしますが、いばらの方が早く成長して芽を塞いでしまい、育つことはできませんでした。

4)良い地、種は芽を出し、根を伸ばし、十分な日光や栄養を受けて成長し、時が来て100倍、60倍、30倍の実を結ぶことができました。

これら4つの土地は、私たちの心の状態を示しています。その意味は、

1)みことばを受け入れない頑なな心

2)みことばを最初は喜んで受け入れるが長続きできない心

3)この世の思い煩いや誘惑によって塞がれてしまう心

4)柔らかで邪魔なものがない心

を、それぞれに表しています。単純で分りやすいですが、神様に対する人の心をとても良く表わしています。 

Ⅲ.良い心のたとえ

大切な4番目に当たる、みことばを育み、良い実が多く結ばれていく人の心を考えてみましょう。よく耕された、石ころ・いばらがない状態は、農夫が汗水を流した労苦によってなされます。当たり前のことですが、土地が自分で自分を良くすることはできません。私たちの心は神様によって造り変えられ、整えられます。

成長のじゃまをする石は、無機質で冷たいものです。人の心に入り込む、他者への無関心・冷淡さ、自分だけ良ければ良い、という我欲のようなものと言えます。

もう一つ成長のじゃまをするいばらは、石とは違って命を持ち、いばら自身が成長するものです。イエス様は、次の毒麦のたとえ話では、敵が来て毒麦を蒔く(25節)ことを語っておられます。ここで語られています神様の敵は、悪魔ということでしょう。いばらとは、この世の思い煩いや様々な誘惑を、悪魔が利用して、ことさらに問題を大きく見せ、みことばを塞ごうとする悪の力と言えます。

良い心とは、不要な石ころやいばらを神様によって取り除いていただき、クワやスキが入れられて柔らかにされた心のことです。不要な石は私たちの罪です。私たちは自分の罪を自分で取り除くことはできません。イエス様の十字架のあがないの血潮が必要とされます。不要ないばらの種は様々な誘惑です。誘惑がはらんで成長して罪となることがないように、種の内に神様によって取り除いていただきましょう。

良い地は太陽の光によって暖められ、天からの雨水を含んで作物の成長を助けていきます。良い心は真の光であるイエス様、いのちの水の源であるイエス様を十分に受け止めて、やがて霊的な実りをもたらすことができるのです。

この13章は7つの御国のたとえ話が出てくる特別と言える章です。その最後、49~52節にはしめくくり、結論が出てきます。終末において良い者と悪い者の区分がなされるということです。黙示録14:14~20には収穫の刈入れが出てきます。ここには2つの刈入れがあります。

最初の刈入れはイエス様によって信仰者になされる評価、2番目の刈入れは御使いによる神様に敵対する者への裁きです。私たちは神様によって手入れしていただき、良い実を実らせます。やがての日に安らかにイエス様の前に出られるように、日々整えていただいて霊的な実りを豊かに持つ者とされましょう。

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