前奏 奏楽者
招詞 詩篇96:1~3 司会者
賛美 新19(聖478) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 3(詩篇第16篇)880頁(新改訳)〃
祈祷 司会者
賛美 新38(聖195) 一同
聖書 ピレモン1~10 沖加奈姉
説教 「信仰の交わりが生き生きする」松村識師
祈祷 一同
賛美 新394(聖295) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番
頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者
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説教題:「信仰の交わりが生き生きする」松村識(さとる)師
聖書:ピレモン1~10
聖書の中で民を揺るがす出来事として教えられているのは疫病、ききん(自然災害)、戦争です。東日本大震災から3月が来ると12年です。あの時問われた問いかけも時と共に薄れています。コロナも3年を数える中、私たちは握りしめるべき本当に大切なものは何かと問われています。
ピレモン書はわずか25節しかない書です。コロサイ教会の中心人物、ピレモンの奴隷であったオネシモは逃亡し、損害をかけていました。そのオネシモがパウロの元で救われました。パウロはオネシモの身請け人となって、ピレモンに「赦しと許し」、つまり、逃亡と損害を赦し、兄弟として受け入れることの許しを願うのがこの書です。
この書はコロサイ書とともに書かれ、コロサイ書の首飾りと呼ばれます。それは教えが行いとなって表れされた書だからです。最もローカルなことは最もグローバルです。パウロとピレモンの小さな「私ゴト」に神の恵みが証されるならば、それは世界に通じるのです。
私たちの信仰生活、それは教えを信じることに終わりません。教会という神の家族の交わりの中でともに生きる生活に生きるものです。イエス様は十字架に架かられる前、過越の食事の洗足の後、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と新しい戒めをお与えになりました。その良い行いを互いに分かち合うことによって信仰の交わりは生き生きするのです。
世の中、人はさばき合い、過ちを犯した人に冷たいものです。そして、私たちも愛を教えられ、愛を語りながら、愛することに疎いのです。神様はその私たちが愛の恵みを分かち合うように様々な機会を与えてくださっています。コロナの中、私たちの交わりは希薄になっています。どのようにしてともに生きる交わりが豊かに生きて働くものとなるでしょうか。
コロサイ書の中では、「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。」(3:9)から始まって、私たちの新しい生き方について教えます。古い人には壁がありました。
しかし、国や民族、奴隷と自由人という立場そのようなものすべてが取り去られてキリストのものとされたと教えられています。そして、互いに赦し合い、結びの愛が私たちを一つにすると勧められています。その愛のゆえに、パウロは『懇願』するのが、オネシモの『赦しと許し』なのです。
戦後、豊かな成長を享受してきた私たちの国が失速し、将来や希望を描きにくい世の中になりました。そして、コロナは人の交わりを遠ざけています。その中で神の民として生かされている私たちもその中に飲み込まれそうになる中、主からいただいている恵みを今一度しっかりと信じて進もうではありませんか。
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