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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

前奏                                  奏楽者
招詞              申命記6:4~5        司会者
賛美              新20(聖ナシ)        一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             27(詩篇第90篇)901頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新202(聖609)    一同

聖書              ルカ12:24~34丹羽嘉崇兄
説教              「御国を求めなさい」井上義実師
                御国が近づいている5
祈祷                                  一同

賛美              新429(聖522)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                  牧師
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

 

説 教 題:「御国を求めなさい」井上義実師
聖書箇所:ルカ12:24~34

昨年から「御国が近づいている」というテーマを取り上げて語っています。今の時代をどう捉えるかということと、私たちが聖書に照らしてどう生きるかということについて語っていきたいのです。

Ⅰ.鳥(カラス)と草花への顧み

 並行箇所の山上の説教、マタイ6章でのイエス様の言葉は、空の鳥、野の花です。ルカ12章では鳥(カラス)と草花になります。カラスは南米、ニュージーランド以外世界中に生息しています。人間生活に近いので世界各地の民話、俗信にも多く登場します。

カラスはもちろんのことですが、種まきはできません、刈り入れもできません、納屋も倉も持ってはいません。しかし、神様が養ってくださっています。草花も働けません(外に働きに行くという労働のことです)、紡ぐこと(家の内で家事をするということです)もできません。

しかし、神様は栄華を極めたソロモン王以上に、美しく装ってくださっています。誰も目を止めないカラスも、明日枯れるかも知れない草花も、神様は顧みてくださっています。それであるならば、最高の存在として造られた人間を、私たち個人個人も特別に造ってくださったのですから、私たちを神様が顧みられないはずはないのです。

Ⅱ.日々の心配への顧み

 私たちは日々の心配を持っています。仏教では生老病死と良く知られていますが、生まれ生くること自体が苦労なのです。マタイ6:34「苦労はその日その日に十分あります。」文語訳聖書では、「一日の苦労は一日にて足れり。」です。私たちは毎日、果たすべき責任を果たしながら生きている者ということです。

ここには、何を食べるのか、何を飲むのか、何を着るのか、何を残すのか異邦人が切に求めるものであると言われています。広く考えると、異邦人とは、この世、この時代とも言えます。私たち信仰者はこの世に生きていますから、この世の影響も大きく受けます。あらゆるものに及んでいる広告と消費、欲望というものが膨れ上がっていく、この世の流れから少し冷静になった方が良いのではないでしょうか。

いのちのことが取り上げられていますが、私たちは何でも可能のように思いやすいものです。誰も自分のいのちをコントロールすることはできません。私たちはこの世に踊らされずに、私たちを顧みてくださっている神様の愛に信頼し、日々に生きる者です。

Ⅲ.御国につながる顧み

 そして、私たちがなすべきことは31節「あなたがたは御国を求めなさい。」なのです。御国を求めるとは、御国の完成を信じていること、御国をいつも意識していること、御国に期待し待ち望んでいること、…もっと多くの言葉と表現で語ることができるでしょう。

御国は今すでに、イエス様によってもたらされていますが、御国は救いが完成される終末につながっています。御国は受け継ぐものとしても語られています。イエス様が語られた、終末になされる最後の審判の記事に、(マタイ25:34)「それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。』」とあります。

御国に生きることは、日々の必要という現実の生活から始まって、永遠につながる祝福、終末の時に引き上げられる希望へとつながっていくのです。イエス様の救いは日々の現実のなかにあり、永遠のなかへと導かれていきます。

 この世の痛みは多くあります。必要は日々に迫っています。神様は顧みてくださっていることを覚えていましょう。一人一人の内に、教会に、世界に、私たちはこの世のものだけを見ているのではありません。永遠に向かっているものであることを忘れないでいましょう。

安積得也 明治期から戦前の内務官僚、知事、詩人
子息・安積仰也はICU教授・故人

「手いっぱい」

 眼前のことで手いっぱいのときも
 花を忘れまい
 大空を忘れまい
 おおいなるものましますことを忘れまい

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