招詞  詩篇104:33~34
賛美   新23(聖ナシ) 
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  19(詩篇第51篇)893頁
賛美    新247(聖471)
聖書  イザヤ37:30~38
説教  「回復と勝利の約束」 井上義実師
賛美    新455(新512)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「回復と勝利の約束」井上義実師

聖書箇所:イザヤ37:30~38

4月からの新年度も1か月半が経ちました。今朝は、改めて荻窪栄光教会の2022年度旧約聖書の聖句を開きます。

この聖句が導かれてきたのは、30節にある3年間の過程とコロナ禍の私たちとの関連にあります。1年目・2年目には何もできなくとも3年目には種を蒔き、刈入れ、実った実を食べることができます。この聖句に記されてあることを神様に期待しましょう。

 

Ⅰ.ヒゼキヤの時代の危機

イザヤは、南王国ユダの4代の王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に神様に仕えました。その期間は50年を越えると考えられます。

今朝の箇所は36章から続く、ユダヤの歴史的な危機の記述です。ヒゼキヤ王にとって生涯の最大の危機ですし、イザヤの長い活動期間の中でも最悪の状況と言えるでしょう。

アッシリア王センナケリブがユダに攻め込んできます。今、ロシアがウクライナを攻撃していますが、大国が突然小さな国に攻め寄せることは歴史上、常に起こってきました。あっという間にユダの町々は陥落し、エルサレムも包囲されてしまいます。

アッシリアのラブ・シャケが、ユダに対して降伏するのか、さもなければ滅亡すると脅迫しました。これは、霊的な危機でもありました。

ユダヤが信じる神は助けにならないと脅し、恐れさせます(36:13-15)「ヒゼキヤは、『主が必ずわれわれを救い出してくださる。この都は決してアッシリアの王の手に渡されることはない』と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。」(36:15)。

見せかけの保証をちらつかせます「ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリアの王がこう言っておられるからだ。『私と和を結び、私に降伏せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、自分の井戸の水を飲めるようになる。その後私は来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行く。そこは穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地である。」(36:16-17)。

真の神様への不信仰へと導こうとします(36:18-20)。「ヒゼキヤが、『主はわれわれを救い出してくださる』と言っても、おまえたちは、そそのかされないようにせよ。国々の神々は、それぞれ自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。」(36:18)。

目に見える現実の危機は、目に見えない悪も働く霊的な危機でもあるのです。私たちは恐れやすいものですが、目に見える現実に振り回されず、冷静になって神様に立ち続けていく必要があります。

Ⅱ.ヒゼキヤの危機への対処

この危機にヒゼキヤはどう対処したのでしょうか。余りの大きな出来事に気力を失ってしまったでしょうか。

エジプトと連合してアッシリアと対抗するような策を考えたでしょうか。ユダヤの軍隊を総動員して反撃したのでしょうか。… ヒゼキヤは衣を引き裂き、粗布を身にまとって祈るために宮に入りました「ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を引き裂き、粗布を身にまとって主の宮に入った。」(37:1)。

神の人イザヤにも祈りの応援を依頼しました。最悪の事態でしたが、ヒゼキヤがとったのは最善の行動でした。ヒゼキヤの祈りは信仰に立ち、真の生ける神様が応えられることを信じていました(37:15-20)。

「私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知るでしょう。」(37:20)。

神様の答えは、明白にアッシリアはエルサレムには侵入できないというものであったのです(37:33-35)。

「彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない─主のことば─。わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」(37:34・35)。

たった一人の主の使いが、夜の間に18万5千人のアッシリア兵を撃ち殺した。センナケリブはニネベで偶像を拝んでいる時に息子に殺されてしまいます(37:36-38)。人の手によらない、神様の真実による圧倒的な勝利が表わされました。

 

Ⅲ.ヒゼキヤの時代の回復(30-32節)

ヒゼキヤ、イザヤの祈り、信仰によってユダはアッシリアに勝利しました。しかし、アッシリアの侵攻はユダを疲弊させたのです。

農地は荒れ、作物は期待できないようになります。落ち穂から生えるものが出てくると神様はおっしゃいました。神様は神の民を滅ぼし尽くされません。逃れの者、残りの者を選ばれています。

やがて南王国ユダも滅ぼされてしまい、バビロン捕囚が起こります。その後、解放されたユダヤの民は再び故国に帰ってきます。私たちはイエス様のあがないによって、救いの恵みに与りました。

私たちは、この時代に対して逃れの者、残りの者とされています。終末が近づいているこの時代の中で、神様の私たちに対する期待は大きいのです。自らを省みて、誰もが欠けや弱さを覚えます。

しかし、(32節)「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とあります。

イザヤ書には同じ語がもう1か所使われています(9:6-8)

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。主はヤコブに一つのことばを送られる。それはイスラエルに下る。」。

ここは、4つの肩書を持つメシア預言に関しての箇所です。救い主の誕生と同じ熱心さで、神様は私たちを終わりの時代に保たれ、立たせてくださっています。

 

目に見える所は厳しくあったとしても、全能の神、主の熱心が私たちに先立っています。この年も主に期待しましょう。

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