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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

前奏                              奏楽者
招詞              エペソ4:4~6        司会者
賛美              新10(聖ナシ)        一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             25(詩篇第73篇)899頁(新改訳)〃
祈祷                              司会者

賛美              新321(聖508)      一同

聖書              創世記17:1~14油井万里姉
説教              「父としてのアブラハム」井上義実師

祈祷                              一同

賛美              新458(聖514)      一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                              当番

頌栄              新63(聖383)       一同
祝祷                              牧師
後奏                              奏楽者
報告                              司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

 

説 教 題:「父としてのアブラハム」井上義実師
聖書箇所:創世記17:1~14

6月第3聖日、父の日を迎えました。

聖書に出てくる多くの父からアブラハムを取り上げます。

Ⅰ.アブラハムの失敗

 聖書の中で、父と言えば先ずアブラハムが出てきます。アブラハムはイスラエル民族の父、真の神様への信仰の父と呼ばれます。アブラハムの生涯を見ていきますと崇敬に値する自立心に富み、立派な、勇気ある人物です。

しかしながら、アブラハムは何の失敗もなく、非の打ちどころはなかったということではありません。妻サライを妹と偽ったことは1度ならず、2度ありました。この世的には、このことで富を得さえしたのですが、しかし神様はこの偽りを喜ばれなかったことでしょう。

アブラハムの生涯の最大の失敗は、先の16章に記されています人間的な方法で子を設けたことでした。アブラハムと仕え女ハガルとの間にイシュマエルが生まれたのです。アブラハムと妻サライの間に、祝福を受け継ぐべき子が生まれるという神様の言葉を信じなかった結果でした。

神様の御心を軽んじることですし、自分の思いを通したことになります。アブラハムにイシュマエルが生まれた年が86才、次に神様がアブラハムに現れたのが99才です。この間、13年間の空白があったことを聖書は記しています。

神様との交わりが絶たれた、霊的には暗黒の期間だったことでしょう。アブラハムが失敗に沈み込み、あきらめ、神様に背を向けていたならば、アブラハムが後の世に、広く信仰の父と呼ばれることはなかったはずです。

Ⅱ.アブラハムの再生

 13年間の沈黙の後、アブラハムへ神様は呼びかけられました。驚くべきことですが、神様はアブラハムに完全を求められました。人は誰でも不完全であり完全には程遠い存在です。しかも、神様が13年間も黙っておられたのはアブラハムの失敗、裏切りが原因でした。

この言葉はアブラハムだけではなく全ての人に求められている言葉です(マタイ5:48)「ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」他。人間は知識、能力、道徳… あらゆる面で完全ではありません。

しかし、神様を愛し従おうとする意思、その心において完全を持つことができます。神様は13年間の試みの間もアブラハムを見守られていました。それはモーセのミデアンの荒野での40年間と同じことでしょう。アブラハムの心が造り変えられ、神様に全く従う者であることを神様は認め、声をかけられたのです。

 神様が、アブラハムが変えられたことを受け止めておられた証拠があります。アブラハムに契約という言葉をこの箇所だけで10回繰り返されていることから分かります。私たちは、信頼できない人と契約を結ぶことはできません。神様はアブラハムを信頼し結ばれた契約とは、最初の日、カナンに向かう時と同じです。アブラハムの子から多くの国民が生まれ、その子孫に永遠の祝福を与えるとの約束です。

 アブラハムとその一家は、神様との契約のしるしとして代々割礼を受けることになります。割礼は神様に従うこと、隠れた純潔さを表しています。神様に造り変えられたアブラハムは信仰の父として子孫への証しとされていきました。

Ⅲ.アブラハムの継承

 アブラハムは新約聖書で82回引用されています。イスラエル民族の父、信仰の父です。特にローマ4章(7回)、ガラテヤ3章(8回)に見ることができます。この2箇所は信仰によって義とされることを記しています。アブラハムが信仰によって義とされた良き例として記されています。イエス様誕生後の新約聖書の時代に生きる私たちです。

アブラハムに倣うのは割礼ではなく、信仰なのです。

ガラテヤ3:6-7には「『アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた』とあるとおりです。ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。」とあります。血のつながりという肉体的なものではなく、今はイエス様の救いによって、霊的信仰的な意味で私たちもアブラハムの子とされています。無から有を生み出される全能の神を崇めるというこの信仰を受け継いで生きていきましょう。

 大きな人物であり、信仰も豊か、しかし失敗も大きかったアブラハムを神様は再び立ち上がらせられました。私たちも紆余曲折はあるでしょうし、晴れの日も嵐の日もありますが主に従い続けていきましょう。アブラハムの生涯は地上の旅人、寄留者です。

 

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