招詞  エペソ5:15~21
賛美   新19(聖478)
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  23(詩篇第66篇)897頁
賛美    新370(聖548)
聖書  使徒1:1~14
説教  「ペンテコステの恵み」中島秀一師
賛美    新415(聖574)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「ペンテコステの恵み」中島秀一師

聖書箇所: 使徒1:1~14

 

先週は聖霊降臨日「ペンテコステ」でした。この日は「五旬節(七週の祭り)」であり、「過越の祭り」から50日目に当たることから、「ペンテコステ」(第50の意味)と呼ばれています。ユダヤ社会における三大祝祭日は、過越の祭りと五旬節と仮庵の祭りです。

ご承知のように、キリスト教はユダヤ教から派生した宗教です。ユダヤ教の経典は旧約聖書(特にモーセの五書)ですが、キリスト教の経典は旧約聖書と新約聖書です。旧約と新約には「律法と福音・預言と成就・選民と異邦人」という大きなテーマが秘められています。そうした視点に立って「ペンテコステの恵み」について考えて見ることにします。

 

Ⅰ.三大祝祭日の意義

ユダヤにおける祝祭日の意義を考える場合、それが先に記した三つの視点とどう関係しているかを知らなくては本来の意義を悟ることはできません。

今日の主題は「ペンテコステの恵み」ですが、過越の祭りと仮庵の祭りとも併せて考える必要があります。(今回は「仮庵の祭り」除く)

1 過越の祭り

① 起源

過越の祭りは、イスラエル人のエジプト脱出の契機となった神の奇跡のみ業を起源としています。神がエジプトに下した審判は九回に及びました。しかしファラオは屈しなかったので、最後に下された神の審判は、ファラオの長子から家畜の初子までも、すべての生き物の命を断つ、という厳しいものでした。

「エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。」(出エジプト12:30)

 神はこの厳しい裁きからユダヤ人を救うために一族ごとに、傷のない一歳の雄羊を用意して、その羊を屠り、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない、と命令されました。

「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」(12:13)


② 預言の成就

主イエスが十字架に架かられた時と過越の祭りの日とが合致していることの背後に、神の人類救済に対する遠大な計画があることを認めざるを得ません。

主イエスはその席上で、パンと杯を取られて、『これはわたしのからだです。』『これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。』」(マルコ14:22~24)と言われました。これは偶然のことではなく、ここに預言の成就、ひな型の小羊に代わる実体としての主イエスの姿を見ることができるのです。

③血による贖い

「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と求められるからです。」(ローマ3:24)私たちはただ預言の成就を認めるだけでなく、尊いキリストの血によって罪赦され、義とされた恵みを深く感謝しなければなりません。

2 七週の祭り

① 律法授与

イスラエルの人々はエジプト脱出後七週目にシナイの荒野に入り、神から十戒を授かりました。この契約は「シナイ契約」として、イスラエル民族の歴史に大きな役割を果たすことになります。

② 七週の祭の祭儀

「あなたがたは、安息日の翌日から、奉献物の束を持って行った日から満七週間を数える。七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を主に献げる。あなたがたの住まいから、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼いたものを二つ、奉献物としてのパンとして持って行く。これは主への初物である。」(レビ23:15~17)

ユダヤ社会における祭りは収穫祭であり、初穂が捧げられることが共通しています。因みに過越の祭りは大麦、七週の祭りは小麦、仮庵の祭りは果物が捧げられます。

この七週の祭と聖霊降臨との関連性を考える時に、歴史の背後に神の経綸の歯車が確実に存在していることを痛感いたします。

③ 選民と異邦人

過越の祭では「種なしパン」、七週の祭りでは「種入りパン」が捧げられました。また、七週の祭りではパンは二つ捧げることになっています。ペンテコステの日に聖霊が下り、世界宣教が始まったことを考えますと、「二つのパン」は「選民と異邦人」を表していると言えます。

また「種なしパンと種入りパン」は「酵母なしか、酵母入りか」の違いです。因みに「酵母」とは「罪」を象徴しています。

過越の祭では、「種なしパン」が捧げられました。それは「小羊の血」による贖罪を意味しています。この行為は律法に基づくことであり、ユダヤ人は終世この行為に束縛されました。

七週の祭りでは「種入りパン」が捧げられました。それは「イエス・キリストの血」による贖いの予表であると言えます。

私たちはイエス・キリストの贖いによって罪が赦され、律法ののろいから解放されました。最早や「種なしパン」にこだわることは全く必要がないのです。

 

Ⅱ.聖霊降臨の備え

主イエスは昇天される前に幾つかのことをお命じになりました。

1 エルサレムを離れないで。  
主イエスは弟子たちにエルサレムを離れないように指示されました。私たちにとってのエルサレムは、聖霊を迎えるに相応しい聖なる心の状態を意味しているのではないでしょうか。

2 父の約束を待ちなさい。
聖霊は「約束の御霊」(ガラテヤ3:14)と呼ばれます。父なる神は早くから約束しておられました。「わたしの霊をあなたの子孫に、わたしの祝福をあなたの末裔にそそぐ。」(イザヤ44:3)、「わたしはすべての人に私の霊を注ぐ。」(ヨエル2:28)等々です。主イエスは「待ちなさい。」と命令されました。待つことは辛いことですが、ご聖霊様を待つということは、これ以上喜ばしいことはありません。

3 祈りなさい。
弟子たちは主イエスが昇天された後、エルサレムに帰って「屋上の部屋」に集まり、母マリヤを中心にして「心を一つにして祈っていた」(使徒1:14)のです。これは主イエスの要望によるものではなく、彼らが日頃から弁えていた信仰者の在り方でありました。私たちもそうありたいと願います。

Ⅲ 聖霊による世界宣教

七週の祭りにおける「二つのパン」が、「選民と異邦人」を表し、その予表が五旬節の日に聖霊降臨として成就しました。この事実に、神の救いの計画の確かさを今更の如く知らされ、唯々驚くばかりであります。

使徒行伝は聖霊行伝と呼ばれるほど、聖霊が縦横無尽に働いておられる書物です。ペンテコステの日に聖霊に満たされたペテロは弟子たちと共に立ち上がって説教しました。最初の信徒は、屋上の部屋に集まって祈っていた120名ほどでしたが、この日3千人ほどがバプテスマを受け、仲間に加わりました。やがて数万人にも上りました。

良いことばかりではありません。仲間内に潜在している複雑な課題が表面化して、ペテロやパウロたちが厳しい状況に立たされたことも一度や二度ではありません。そうした問題を抱えた中で、常に聖霊の導きを求め、聖霊にお従いし、聖霊に判断をお委ねした時に、すべが聖霊の力によって最善の結果を得たのでした。

そうした戦いの中で宣教は拡大し、ローマにまで達することができました。その間、バプテスマのヨハネ、ヨハネの兄弟ヤコブ、ステパノなどの殉教をはじめ、尊い主の弟子たちの命が奪われました。

主は

「わたしの証人となります。」

と言われました。証人とは殉教を意味する言葉です。主の弟子たちは、最初からその覚悟で主に従ったのです。

64年頃、ローマで大火が起こり、その容疑がキリスト教徒に向けられ、皇帝ネロによる大迫害が起こりました。その際にペテロとパウロは殉教したと伝えられています。キリスト教は紀元313年に寛容令が発令され、392年ローマの国教として公認されました。

「地の果てまで、わたしの証人となります。」「地の果て」とは、私の隣りです。「ペンテコステの恵み」とは、私たち一人一人が主の証人とされることなのです。

 

 

 

 

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