説 教 題:「復活後の弟子たち」 中島秀一師
聖書箇所:使徒の働き1:1~14


先週、私たちは喜ばしい復活祭(イースター)をお祝いしました。私たちは復活の主を信じるキリスト者として、復活の喜びに満ち溢れた信仰生涯を送りたく願います。復活祭は一日だけですが、教会暦における「復活節」は「聖霊降臨日」までの五十日間を指しています。この間、復活の主は弟子たちとどう関わられ、弟子たちはどう対応したのでしょうか。共に考えることにしましょう。

I 復活の主に出会った弟子たち(1~5)

1.復活の事実

「使徒の働き」と「ルカの福音書」の著者はパウロの伝道旅行に同行した医者ルカです。ルカは冒頭で「ルカの福音書」を「前の書」と呼んでいますので、「使徒の働き」は「ルカの福音書」の後編と言うことになります。

ここでルカは「イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」(3)と記しています。復活された主イエスは、マグダラのマリアを初め、少なくとも8回に亘って弟子たちや兄弟たちにご自身を顕しておられます。

聖書は「ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。」(コリント第一15章5節~6節前半)と記しています。他方、祭司長や長老たちは主イエスの復活を恐れ、兵卒たちに「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。」(マタイ28:13)と命令しました。

主イエスの遺体はそれ以降、現代に至るまで何処にも見出すことはできません。聖書は力強く「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(コリ
ント第一15:20)と宣言しています。

2.復活のからだ

主イエスの復活体は次元を越えた存在です。私たちは三次元の世界に住んでいますが、それ以上の次元、例えば四次元の世界は想像することはできません。主イエスの復活体は私たちの常識、科学知識を越えたもの、それとは全く異なる神の世界の存在である、と言えると思います。神の世界のことであれば、信じるか、信じないか、という選択になります。

主イエスの復活体は南のエルサレムにおられたかと思うと、北のガリラヤにおられます。エマオ途上の二人の弟子たちと語り合われたかと思うと、疑い深いトマスには個人的に会われ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。」(ヨハネ20:27)とその傷跡を示しておられます。

3.復活の意義

なぜ、主イエスは復活後、直ちに昇天されないで四十日間も復活体として地上に留まれたのでしょうか。聖書はその理由として二つのことを示しています。

第一は、「四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」(1:3)ことです。思えば主イエスの公生涯における第一声は「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)でした。主イエスの最大の使命は「神の国」の完成です。

第二は、主イエスが「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(1:4)と言われたことです。「父の約束」とは「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。」(ヨハネ14:16-17)、つまり聖霊の降臨を意味しています。主イエスは昇天直前に「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と語られました。神の国の完成にはキリストの証人が必要です。これらの二つの使命の周知のために四十日間を要したと考えられます。

II 昇天に立ち会った弟子たち(6~11)



主イエスの昇天に関する記事は、マルコ福音書、ルカ福音書、使徒の働き、以外にはありません。その内容もそれぞれに異なっています。主イエスは昇天前に幾つかの大切な言葉を残しておられます。いわば、復活体としての主イエスの最後の言葉、遺言のような意味合いを持つ言葉であると言えます。

1.昇天と宣教

主イエスは「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」(マルコ16:15-16)「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)ここで主イエスは、弟子たちが全世界に福音を宣べ伝える、キリストの証人となることを願っておられるのです。

2.昇天の様子

聖書は次のように記しています。「こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。」(使徒1:9)旧新約聖書を通して「雲」は神の臨在のしるしです。モーセは雲の中で律法が与えられました。イスラエル民族は荒野において「雲の柱」によって守られました。主イエスが変貌された際には雲が周囲を覆いました。

3.昇天と再臨

主イエスが昇天の際に「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1:11)ここに主イエスの再臨が明確に記されています。

III 聖霊降臨を待望した弟子たち (12~14)



主イエスは昇天される前に「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」(1:4-5)と命じられました。

1.聖霊降臨を待つ態度

主イエスは「父の約束」である「聖霊降臨日」を確定ではなく「間もなく」と不確定な表現をしています。「父の約束」ですから破棄されることは絶対にないことは当然です。聖書は「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。」(ヘブル10:36)と教えています。

2.聖霊降臨を待つ条件

聖書は条件として「エルサレムを離れない」(使徒1:4)、「都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)と記しています。それは後日実現する「聖霊の降臨」は、ユダヤの都エルサレムで起こることを予期していたからです。

3 聖霊降臨を待つ実際

主イエスの昇天に立ち会った弟子たちは、「泊まっている屋上の部屋」(使徒1:13)に集まりました。ここは主イエスと共に「過越の祭=最後の晩餐」(ルカ22:12)を催した、懐かしい思い出の場所でした。そこには、「ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」(使徒1:13-14)のです。主イエスの十二弟子のうち、主を裏切ったイスカリオテのユダを除いた十一人の弟子たちが健在であり、「いつも心を一つにして祈っていた。」という姿は何という素晴らしい光景でありましょうか。

私たちは五十日後に「聖霊降臨日=ペンテコステ」を迎えます。主イエスの弟子たちのように、私たちも「聖霊の降臨=聖霊の満たし」を期待して、互いに心を合わせて祈り合う者とさせて頂きましょう。