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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

前奏                                      奏楽者
招詞              詩篇100:1~3       司会者
賛美              新27(聖ナシ)                一同
主の祈り    新826頁           〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条    新826頁           〃
交読文             18(詩篇第50篇)892頁(新改訳)〃
祈祷                                      司会者

賛美              新357(聖450)      一同

                ーギデオン報告と証しー

聖書              コロサイ2:1~10      桂以そ美姉
説教              「現在から未来への希望」井上義実師
                2023年度教団聖句?新約聖書
祈祷                                      一同

賛美              新453(聖536)      一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                      当番

頌栄              新63(聖383)       一同
祝祷              牧師
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

説 教 題:「現在から未来への希望」井上義実師
聖書箇所:コロサイ2:1~10

先週は本年度の旧約聖書からの教団聖句を語りました。過去から現在に受け継がれてきた恵みについて話をしました。今週は本年度の新約聖書からの教団聖句です。私たちが現在ある恵みと将来への希望を語っていきます。

Ⅰ.キリストの豊かさ

イエス様は2千年前にユダヤのベツレヘムにお生まれになりました。神の国の福音を語られ、神様の愛を証しされ、力ある言葉と業をなされました。十字架にかかられ、復活されて救いの道を私たちに開いてくださいました。

新約聖書に出てくる人たちの多くはイエス様の姿と行いを見て、言葉を聞いて、神様の愛を知った人たちです。世の中の宗教には誰か一人だけに特別に表された、その人だけが特別に得ることができたというものがあります。

アッラーの神は預言者ムハンマドだけに啓示を表され、イスラム教となりました。釈迦は最高の悟りを得て、仏陀として崇められ、その弟子たちが仏教を広めていきました。仏教は幅が広いですが、釈迦一人を仏としている仏教もあります。

イエス様は、弟子たちを始めとして多くの人々によって証しされています。今も、聖書を通してイエス様は私たちに表されています。イエス様が喜ばれた、憤られた、悲しまれ涙を流された、強く宣言された、穏やかに話された、疲れて休み、空腹を覚えられた姿に、私たちは身近ささえ覚えます。

また同時に、それらを越えて、イエス様の内には(3節)「知恵と知識の宝がすべて隠されています。」とあります。この言葉は(2節)「神の奥義であるキリストを知る」ことにつながっています。奥義というと神秘、秘儀のように特別、特殊なものに捉えられます。しかし、イエス様の内にある知恵と知識を真実に求めるならば、誰もが得られるものとして神様は備えられておられます。

もちろん、その人が達しえるものが違うということは聖書自体が言っています。一人一人に神様の豊かさを持たせてくださいます。キリスト教の奥義は閉ざされていない、開かれた奥義と言えます。

Ⅱ.この世の空しさ

イエス様を通して、神様の奥義は私たちに表されています。次にこの世に目が向けられています。(8節)「空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように」と警告がなされています。コロサイの教会に対して、この世の神秘主義や異端的な教えが入り込もうとしていました。神様の真実から離れさせようとすることへの注意なのです。

生まれてさほど時間が経っていない教会に対して、異端的な教えが入り込もうとしていたことは新約聖書の各所から見て取ることができます。教会はその始まりから異端的な教えを退け、正統的な教えを確立していくことの戦いでした。教会はこの世に立っています。時を越えて、現在は現在の形で試みられ、真実に立ち続けていくという戦いがあります。

その当時も、今もキリストにあって満たされることこそが私たちの取るべき姿勢なのです(9・10節)「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」。キリストによって満たされているならばよそ者、邪魔者は入り込むことはできないのです。

Ⅲ.キリストの内にある

教会がキリストに満ちているということが語られましたが、それは私たち一人一人もキリストによって歩むことです(6節)「このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。」。

続いて、キリストによって歩むことは、キリストに根ざす、建てられる、教えられることと説明されています(7節)「キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。」。信仰の歩みについて、「根ざす」は植物にたとえられています。

キリストから必要な光・エネルギー、栄養・養分をいただければ葉を繁らせ、花を咲かせ、実を結ぶことができます。「建てられる」は建物にたとえられています。地面を掘って土台が築かれ、丈夫な柱が立てられ、壁や屋根が葺かれていきます。建物は住居や施設として、働きの拠点に用いられていきます。「教えられる」は教育、訓練から来ている言葉です。正しい教育という基礎の上に、正しい社会は成り立っていくのです。

キリストの内にあって歩んでいくことは、神様の命によって成長し、神様が建てられる堅固な建物となって働きを支え、神様によって教えられて育まれていくものです。年齢も、背景も、知識も何も関係ありません。あなたの今の状態から神様は始めてくださいます。そこから成長し、強くされ、豊かにされます。

キリストの内にあるという言葉は、霊的な意味で捉えられやすいです。もちろん霊的な言葉ですが、成長する命ある歩み、雨風に負けない強固な建物を建て上げる歩み、教えられ豊かにされていく実際の歩みです。今日という日に、このことに立って歩むならば必ず実りは豊かに備えられていきます。個人の歩みに、教会の歩みに、教団の歩みに神様の恵みが表されていくことを期待して共に進んでいきましょう。

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