聖書各巻緒論(25)
説 教 題:「回復と癒しがなされる」    井上義実師
聖書箇所:哀歌5:15~22

今朝の礼拝説教は聖書各巻緒論に戻ります。神様は聖書の1節から語られるでしょう。聖書の1節が私たちの生き方を、決定づけることを私たちは体験もします。一瞬の出会いのような出来事が起こります。ある聖書学者が神様と出会うと言うことは、数学の座標で異なった線が交わる一点であるということを言っています。尊い一瞬はそれぞれにありますが、聖書各巻を知ることによって、聖書全体を捉えていく読み方の助けとしていただきたいのです。

1.哀歌の全体を通して


 哀歌をエレミヤの著作であると考えることは、自然な受け止め方でしょう。哀歌はエレミヤの著作ですという明確な論拠はありません。哀歌の著者は、紀元前586~7年のエルサレム陥落に出会い、嘆きと悲しみの歌を残しています。エレミヤは南王国ユダの末期に主に仕え、神様への背信による亡国のために涙を流し続けました(エレミヤ9:1他)。哀歌の著者が、エレミヤ以外であるとするならば、神様は私たちにそのことを示されたことでしょう。

内容は預言の言葉ではありません。であり、でありますので、ユダヤ人のヘブル語聖書では預言書の中ではなく、諸書(ケトビーム)の中に置かれています。哀歌は全体で5章の短い書巻です。この5章は、テーマとしては一貫していますが、つながりをもっているのではありません。各章は一篇の詩として独立しています。哀歌の構成は5篇の詩から成り立っています。 

2.哀歌の説教箇所を通して


 今朝、開かれてきました5章は厳密には、詩ではありません。神様へ訴えかける、祈りという内容です。1節から18節まではエルサレムが陥落し、祖国ユダが滅ぼされた痛みを赤裸々につづっています。他国に虐げられ、財産は奪われ、家族も殺されてしまう恐ろしいできごとが起こります。人権などありません。奴隷のような扱いを受けます。身分のある者も身分の低い者も、男も女も、大人も子どもも皆、命をつないでいくために労しなければなりません。そのような苦しみにあえぐ姿が記されています。

19節からは、祈りの訴えの語調が全く変わります。哀歌の著者は目の前の現実のものではなく、目には見えなくとも天におられる神様を仰いでいます。現状の辛さ苦しさではなく、将来の希望に目を向けていくのです。

19節は力と権威をお持ちの偉大な神様が称えられています「主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は代々に続きます。」

20節は私たちを顧みてくださいという切なる訴えです「なぜ、いつまでも私たちをお忘れになるのですか。私たちを長い間、捨てておかれるのですか。」

21節は神様が共におられたかつての恵みを回復させてほしいという願いが述べられています「主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。昔のように、私たちの日々を新しくしてください。」

22節は神様のあわれみにすがっています「あなたが本当に、私たちを退け、極みまで私たちを怒っておられるのでなければ。」

私たちは現実を見て行動する者ですが、ただ現実だけに生きる者ではありません。現実を超えて、全能である神様を見上げ、最善に導かれている神様に寄り頼む者なのです。
 

3.哀歌の嘆き・悲しみを通して


 私たちは嘆き、悲しみの大きさによって時に動けなくなる者です。神様を信じる信仰によって、私たちに起こってくる嘆き、悲しみは無くなるのでしょうか。信仰者にもこの世の全ての嘆きや悲しみは起こり得ます。信仰者の嘆き、悲しみは聖書に多く記されています。哀歌を歌ったエレミヤの痛みは、大きかったことでしょう。

イエス様も私たちの味わう嘆き、悲しみをつぶさに経験されています。ラザロの死に涙を流されました(ヨハネ11:32~35、35節)「イエスは涙を流された。」。エルサレムを前にして涙を流されました(ルカ19:41~44、41節)「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。」

地上の歩みに嘆き、悲しみは多くありますが、神様の約束は別にあるのです。イザヤはやがて来ることとして、終末論的にこのように記しています(イザヤ35:10)「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。」。その完成は黙示録にあります(黙示録21:4)「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」やがて表わされる完全な希望があるからこそ、忍耐し、待ち望んでいくことができるのです。
 
 神様は私たちの全てをご存知です。私たちの悲しみを喜びへと変えていってくださる御方です。この御方に信頼し、従いましょう。