説 教 題:「神様の人への願い」聖書各巻緒論(1)    井上義実師
聖書箇所:創世記1:26~2:4

 今年は4月から聖書が切り替わって「新改訳2017」になり、一年間での聖書通読を勧めています。聖書を読み進める一助として聖書各巻の緒論を始めます。緒論と言うのは総論、概論ということです。その書巻の位置づけ、基本的なことがらとメッセージを最初に見ていただき、特に礼拝として示されたメッセージを語っていきます。

Ⅰ.基本的なことがら

「創世記は小さな聖書です。なぜなら、この中に聖書のすべての真理が含まれているからです。またここにおいて神様はあらゆる方法をもって私たちにご自分を現されます。小さい茶碗の中にある海水を見て、大海の水の性質を悟ることができるように、創世記によって私たちは聖書全体を悟ることができます。」
B.F.バックストン第5巻「創造と堕落」

著 者:伝統的な受け止めとしてモーセ(モーセ五書の第一巻)です。
執筆年代:出エジプトの年代を早期説としてB.C.1500年頃(後期説、その他もある)。
大区分:
・1~11章:天地創造、エデンの園、人間の陥罪、ノアの洪水バベルの塔、国語と民族、国家の起源。
・12~50章:アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ:族長の歴史。イスラエル民族が興されていく。

Ⅱ.基本的なメッセージ

 神様は無から有を、茫漠から秩序を、暗闇から光を、世界の全てを創造されました(宇宙、地球、生物、人間)。宇宙全体に自然の法則を設けられ、支配されています。神様の創造の業の最終、最高のものは人間です。神様は、他の動物が持つことのない、人間だけに責任を伴う自由を与えられました。しかし、人間は自由を誤って用いてしまい、自分勝手な欲望を満たそうとしました。アダムとエバが、神様に背き、禁じられた園の中央にある木の実を食べました。以来、兄カインは、弟アベルをねたんで殺害します。その後も、罪の歴史が重ねられていくことになります。神様は、見かねての裁きを下されますが、必ずあわれみを伴って行われます。全世界を覆う洪水では、ノアとその家族、生き物たちを守りました。やがてアブラハムを選び、アブラハムをイスラエル民族の基とされました。アブラハムからの族長の歴史が始まります。彼らは、人間臭い罪や過ちを犯しますが、神様は彼らを忍耐強く導かれ、ご自身の性質を表わす者へと変えられることを願われました。族長の歴史の中に、一人一人への神様の信仰的な取り扱いを見ます。

Ⅲ.神のかたちとしての人間

 人は他の生き物とは違って、神のかたちに造られました(1:26)。外面的なかたちのことではありません。神のかたちとは内面の人格を指しています。人格は、その人が他の誰でもない、その人という個人を形作る尊いものです。この人格を持つからこそ、人と人が交わることができ、天の神様とも交わることができるのです(1:27)。交わること、応答することの最高の形は、互いに愛することです。アダムとエバが神様に従っていた時には、神様との愛の関係は緊密に保たれていました。神様に命ぜられたことに背くことは、神様をないがしろにすること、自分の方を高くすることになります。神様に背く人間は他人に背く、神様を軽んじる人間は他人を軽んじるのは、当然の姿でしょう。そのように罪はどんどん増幅し、人間は、この罪に打ち勝てない弱い存在であるのです(ローマ7:18~21)。神様はアブラハムを選び、導き出し、神様の御心に従って生きることを求められました。アブラハムと子孫たちは、時に失敗しながら神様に従っていきました。   

神様はご自分が造られた世界に目を注いでおられます。同時に、一人の人の歩みにも目を注いでおられます。世界全体に関わりと責任を持たれ、一人の人にも関わりと責任を持っておられる御方なのです。神様は全ての人に「どこにいるのか」と問われています(3:9、4:9)。神様が願っておられることは、アブラハムが即答したように「ここにいます」という応答なのです(22:1)。 

2021.5.16