前 奏      奏 楽 者
招 詞  ヨハネ4:35~36  司 会 者
賛  美 新141(聖ナシ)   一   同
主の祈り 新826頁     〃
祈 祷 唱 聖373(新ナシ)   〃
使徒信条 新826頁    〃
交 読 文 46(詩篇第148篇)915頁   〃
祈 祷     司 会 者

賛  美 新261(聖461)    一   同

聖  書  ヨハネ黙示録3:14~22  沖加奈姉
説  教  「熱くされよう」    井上義実師
信仰の継承4 雪のように白く2
祈  祷 一   同

賛  美 新415(聖574)   一   同
献  金
献 金 唱  聖378(新ナシ)        〃
感  謝         当   番

頌 栄 新63(聖383) 一   同
祝 祷    牧   師
後 奏    奏 楽 者
報 告  司 会 者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

説 教 題:「熱くされよう」井上義実師
聖書箇所:ヨハネ黙示録3:14~22

次週から待降節・アドベントを迎えます。主の御降誕に心を備えます。M・ルターは待降節が始まる前の聖日を贖罪の日と定めました。元々、旧約聖書の定めではレビ記16章にあるように、大祭司が年に1度全イスラエルの贖罪のために至聖所に入って犠牲の血をささげる祭儀がありました。

聖所の祭儀は失われました。しかし、M・ルターはその精神を持つために、待降節の前に、悔い改めと謙りのためにこの日を設けました。今朝は待降節の前の週の贖罪の日を意識して聖書箇所を選びませんでしたが、この箇所から自らを省み、問いかける時を持ちましょう。

Ⅰ.ラオディキア教会の状態

使徒ヨハネがドミティアヌス帝の迫害下パトモス島に流され終末の幻を見ました。終りが近づいていることを覚える今、黙示録はますます重要なものになります。1章は序文、2・3章はアジアの7つの教会への使信、4~22章は幻の記事になります。

7つの教会への使信は、第一にヨハネの時代のアジアにある実在の教会宛てであるということです。さらに、時代を超えて、全ての教会へのメッセージでもあります。7つの教会に対して賞賛、叱責、警告、約束が記されています。

今日の箇所である、7番目のラオディキア教会の状態をイエス様は、冷たくもなく、熱くもなく、生ぬるいと言われました(15・16節)。また富んでいる、豊かになった、足りないものはないと言っていますが、実はみじめ、哀れ、貧しい、目が不自由で、裸だと言われています(17節)。ラオディキア教会は、信仰において無感動で無関心、霊的には貧しく乏しいと言われています。

Ⅱ.ラオディキア教会の必要

生ぬるいラオディキア教会に、バックストン師は「白い衣」「目薬」「金」が必要だと語られています。

白い衣は潔い心を表しています。私たちは潔くあるということをどう考えているのでしょうか。信仰者であっても関心がないという人もおられるでしょう。神様は罪の赦しだけではなく、罪を生み出す心の汚れを取り除いてくださいます。

行為だけではない原因に届いてくださいますから、本当の罪からの解放はここにあります。ダビデはバテ・シエバとの罪を認め、罪の苦しみから、潔い心を求めました。「確かにあなたは心のうちの真実を喜ばれます。どうか私の心の奥に知恵を教えてください。ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」(詩篇51:6・7)。

目薬は霊的な真実を見るためのものです。私たちは神様の真実が見えていない訳ではありません。もっともっと明らかに神様の真実を見たいと願わないでしょうか。イエス様に癒された盲人は神様の真実を見ました。周囲のパリサイ人たちはイエス様を拒み、神様の真実に目もくれませんでした。「あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」(ヨハネ9:33)。

金は天来の富です。この世の金も美しく高価ですが、金でさえやがては腐食し輝きを失います。神様が与えてくださるのは、永遠にいたる聖霊による喜び、感謝、愛なのです「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」(ペテロ第一1:8)。 

Ⅲ.ラオディキア教会への招き

ラオディキア教会にイエス様は声をかけられます「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3:20)。

イエス様があなたの戸口まで来て、あなたの名前を呼ばれます。イエス様は心の扉を空けるようにノックされています。イエス様はご自分から近づかれ、応答するように願っておられます。ラオディキア教会は、自分たちが豊かであると満足していましたが、神様の御心を満たすものではありませんでした。神様の豊かさ、永遠に至る豊かさは持っていませんでした。イエス様は自分自身の本当の姿に気付いて、神様に求めなさいと勧めておられます。

私たちは自分を正しく見て、欠けや不足はないのか、罪や汚れを持っていないのかを教えていただきましょう。ラオディキア教会の必要をイエス様が満たされたように、イエス様は私たちの必要を満たしてくださって、永遠の祝福に与らせてくださる御方です。

オンライン席上献金


※席上献金以外は、銀行振込またはゆうちょ銀行【払込取扱票】をご利用ください。

¥

コイノニア