聖書各巻緒論29・預言書7
説 教 題:「聖霊による変革」    井上義実師
聖書箇所:ヨエル2:25~32

 聖書各巻を1回ずつの説教で進めています。旧約聖書の最後の区分に当たります小預言書は12巻あります。今朝はその2番目に当たるヨエル書を開きましょう。

Ⅰ.ヨエルの時代

 ヨエル書は3章から成る短い預言書です。ヨエルという名は多く見られる名前ですが、預言者ヨエルについては「ペトエルの子ヨエル」(1:1)とあるのみです。ヨエルについては、ヨエル書に歴史上の記述、他の聖書箇所との関連もなく、よく分りません。ヨエルが預言者として活動した場所は、「ユダとエルサレムを回復させるその日」(3:1)と記すように南王国ユダで神様に仕えたと考えられています。ヨエルが活動した時代は何時なのかというと、バビロン捕囚の前の時代か、後の時代かという大まかな捉え方でさえも説は分かれます。紀元前4世紀から前9世紀まで考え方は幅広くあります。伝統的には、幅広い考え方の中で、最も古い時代である南王国ユダのヨアシュの時代と受け止められています。ヨエル書は時代の特定は難しいですが、内容は明瞭です。ヨエル書から、私たちに語られている神様の使信を伺っていきましょう。 

Ⅱ.ヨエルの特徴

 ヨエル書の特徴的な記述は、いなごによる災いと主の日になります。

1)いなごの災い

  一昨年の2020年、それに続いて昨年の2021年は東アフリカでサバクトビバッタが大量発生しました。紅海を越え、アラビア半島からインドに至ったというニュースを聞いていました。空を覆うほどの大群で、移動中も世代交代を繰り返し、緑を食べ尽くしていきます。サバクトビバッタと旧約聖書のいなごは同一なのかは分りません。現代でも猛威なのですから、古代にはどれ程恐れられていただろうかと思います。

旧約聖書にはいなごと訳される単語が11個あります。ヨエル書にも出てきます「噛みいなご、いなご、バッタ、若虫(1:4)は違う言葉です。旧約聖書のいなご、バッタに関わる言葉が実際にどの種類のバッタに当たるのかは、よく分らない部分はあります。古代のイスラエルにあっても、注意を払って観察し、細かに分類していたと言えるでしょう。いなごの災害はヨエルの時代に現実に起こりました。この災害を通して神様はイスラエルの民に語られています。いなごの災害は、イスラエルの民に悔い改め、信仰に立ち帰れという神様からの警告でもありました。

 

2)主の日の預言

  ヨエル書全体に「主の日」は語られています。ヨエルが語る主の日は第一に、南王国ユダに対して、神様への背信を続けるなら、神様の裁きがなされ大きな困難が臨むという近い将来の主の日になります(2:11~14)。この神様の裁きは、エルサレムの陥落とそれに続くバビロン捕囚になっていきます。

主の日の第二の意味は、「わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。」(30~31節)とあるように、やがて起こる黙示的な、終末の主の日を指しています。

第一の主の日に当たるバビロン捕囚は南王国ユダに起こりましたが、第二の主の日である終末の患難は全世界、全宇宙に及びます。そして、「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」(32節)は全人類への呼びかけになります。ヨエルを通して神様は、南王国ユダに警告を語られ、終わりの日が来る前に、全人類への救いを願って呼びかけて招いておられます。

Ⅲ.ヨエルと現在

 ヨエル書は聖霊が降った五旬節の日、ペテロの説教で引用されたことが良く知られています(使徒2:16~21)。聖霊が全ての人に注がれるという神様の救いの業の大きな節目を、ヨエルは預言しました。聖霊降臨の約束(28~29節)の前に、(27節)「イスラエルの真ん中にわたしがいる」と語られています。神様の救いの歴史の中で、インマヌエル・神我らと共にいますというイエス様降誕の預言が、先に実現します。イエス様がお出でになって、その後に、聖霊が降るという歴史の進展がここに示されています。聖霊が降って、イエス様を信じる者たちの集まりである教会が生まれ、教会によって全世界に宣教がなされていきます。

今、現在も終末へと、救いの完成へと神様の救いの歴史は進められています。決して長くはないヨエル書ですが、私たちの現在の救いに関しても、これからの未来の救いをも、ダイナミックに語っているのです。

 世界的なパンデミック、多発し大規模化する自然災害、国家間の戦争、愛が冷え憎しみが大きくなる風潮、… 終末を思わされるこの頃にあって、読み過ごしやすいヨエル書から現在の私たちを捉え直し、主の働きに立ち上がらせていただこうではないでしょうか。