聖書各巻緒論(23)
説 教 題:「神様の愛に応える」    井上義実師
聖書箇所:イザヤ43:1~7

 先週は第96回教会総会において2022年度の活動計画・予算が定められて感謝します。お祈り、御協力ありがとうございました。コロナ禍は3年目を迎えていますし、ウクライナでは侵略戦争がなお拡大しようとしています。世界大の平和にも、私たちの教会の歩みにも、主に向かって大いなる祈りと願いを持ちつつ進んでいきましょう。

Ⅰ.預言書の確かさ(預言書全体から)

 聖書を1巻ずつ開いてきました。イザヤ書からは、旧約聖書の3大区分の一つになる預言書(ネビイーム)になります。書巻の長さからイザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書の各書は大預言書と呼ばれます。以降、ホセア書からマラキ書までは12小預言書と呼ばれます。

預言書は、神様からの託宣を受けた預言者によって記されています。旧約聖書で、最初に預言者とあるのは、アブラハム(創世記20:7)です。モーセも預言者(申命記34:10「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」)と記されています。神の人や、指導者は神の言葉を預かり、語っています。

私たちが、預言者として認めやすいのは、エリヤエリシャからでしょう。エリヤやエリシャは力強い働きをしましたが、預言書を記していません。エリヤ、エリシャの後のイザヤを始め、預言書を残した預言者は記述預言者と呼ばれます。

預言者を通して、神様の預言が語られるのは、神の民の危機に際してになります。危機ではない時代には預言者の活動は認められないということにもなります。神の民が不信仰に陥ってしまっている、道徳的に堕落してしまっている、神様に対して反逆さえ起こしてしまっていることに対して警告を行い、神様に立ち帰るようにと呼びかけを続けたのが預言者です。

預言者が最も多く活動したのが、南王国ユダと北王国イスラエルに分れた分裂王国時代になります。信仰的にも、民族的にもいつ滅ぼされるかも知れない危機の時代です。預言は神様からの警告と共に、神様がやがて成される予言でもあります。特に大切な預言の第一は、救い主イエス様に関してのメシア預言です。大切な預言の第二は、イエス様が地上での働きを終えられて天に帰られましたが、再臨の後に起こる終末に関する預言です。神様の言葉は既に成し遂げられ、これからも成就していくのです。

Ⅱ.イザヤ書の確かさ(イザヤ書全体から)

 預言書の最初はイザヤ書となります。N.Yの国連ビルの礎石には、イザヤ2:4「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」が刻まれています。今のこの時、国連が平和の維持のために、その働きが用いられるように願います。

イザヤ書は小聖書と呼ばれるほど、聖書全体を思わせるほどの広く、豊かな内容が含まれています。66章全体は、前半の39章までには審判のメッセージが語られ、義なる神が表わされています。後半の40章以下には回復のメッセージが語られ、贖いと栄光の主が表わされています。旧約聖書、新約聖書の構成を表しているかのようであります。

イザヤは南王国ユダのウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの4代の王の時代に神様に仕えました。イザヤ書は、昔から統一性が問われてきました。内容の区分はありますが、著者が一人ではないというのです。イザヤの活動時期は60年に亘る話ですので、その初期と後期では文体も思想も違って当然のことでしょう。

何よりも確かな証拠は、イザヤ書は直接に新約聖書に49か所引用されているということです。引用には「預言者イザヤによって」「預言者イザヤを通して語られたこと」等と繰り返されています。その引用は1人格のイザヤです。一人目のイザヤ、二人目のイザヤとか、○○の子イザヤ、××の子イザヤ等と記されていません。イザヤと言う一人の預言者に語られた神様のメッセージが時を越えて、私たちにも一筋に伝えられているのです。

Ⅲ.神様の愛の確かさ(イザヤ43:1~7から)

 預言書の預言は、まず第一にはイスラエルの民への呼びかけです。また、私たちへの呼びかけでもあります。神様は人としてアダムとエバを創造されました。アブラハム、サラからイスラエル民族を興されました。私たち一人一人をも創ってくださいました(1節)。

人が生まれるのは決して偶然ではありません。神様の愛の対象として、私たちを高価で尊い(4節)ものとして造られています。それは、贖い取られるほどの愛です。イザヤの時代を越えて、今や、私たちはイエス様の十字架の贖いの血潮によって、義とされ、救いの内を歩むことができるのです(ローマ3:24参照)。

水の中も火の中も、どんな災いや危険があったとしても守られます(2節)。私はあなたとともにいると神様は約束されているのです(2,5節)。イザヤを通して神の民に語られた約束は、今、イエス様を通して、私たちにもさらに確かなものとして与えられているのです
 
 コロナ禍によって世界中の人たちの健康が脅かされています。一人の権力者によって一国が揺るがされる大きな災いが起こっています。この世界に確かなものはどれ程あるのでしょうか。私たちは確かな愛と守りを、神様の内に、聖書の内に見出すことができます。その幸いを持ち続けましょう。