前奏    奏楽者
招詞 イザヤ40:3~4  司会者
賛美 新2(聖484) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 49(イザヤ第40章)918頁〃
祈祷    司会者

賛美 新69(聖ナシ)    一同

聖書 ヨハネ7:37~43桂以そ美姉
説教 「神の言葉を信じる」井上義実師

祈祷 一同

賛美 新267(聖466)    一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ)    〃
感謝 当番

頌栄 新63(聖383)      一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

説 教 題:「神のことばを信じる」井上義実師
聖書箇所:ヨハネ7:37~43

先週から待降節を迎えました。本日から第二週になります。本年は神のことばをテーマにして語っていきます。

先週はヨハネ1章からイエス様の誕生は神のことばが表れたと語りました「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(1:14)。今朝は同じヨハネ福音書から神のことばであるイエス様が実際に語られた言葉を見ていきましょう。

Ⅰ.神のことばの現れ

イエス様はおおよそ30才(ルカ3:23)になられてから神様の言葉、福音を語られ始めました。初めは、お育ちになったガリラヤ地方が中心でしたが、やがてエルサレムを中心としたユダヤに活動を移されていきます。

ヨハネ福音書7章の始めでは、最初は行かないと言われたイエス様が、仮庵の祭にエルサレムの宮へ上られたことをヨハネは記しています(7:1~10)。ヨハネ福音書ではここがイエス様の伝道の分岐点になります。今までは、弟子たちへの教え、訓練など準備のためにガリラヤ地方で活動されていました。一先ず、最初の段階を終えられたイエス様は、その後はユダヤ、エルサレムでの働きが中心になっていきます。

この時までイエス様の働きは対象が限られていたと言っても良いでしょう。この後は、ユダヤ全土に働きが広げられていきます。このことをイエス様ご自身と照らして、イエス様は降誕前には預言として約束され、準備されていましたが、降誕によってこの世に現れてくださり、福音を皆に語られるようになったことと同じ意味合いであると言えます。

Ⅱ.神のことばの力

ここで「祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。」(7:37)とあります。エルサレムの宮に人々が集まる中で、立ち上がられ、叫ばれる明らかな宣言がなされました。それは、生ける水を私から飲むようにという勧めでした。

イエス様はヨハネ4章ではスカルの井戸辺でサマリアの女性に「永遠のいのちへの水」(4:14)について語られました。サマリアの女性は誤解を受けやすいですが、真実を求めようとして得られない人でした。

サマリアの女性は、霊的な渇きをイエス様から満たしていただいたのです。サマリアの女性は自分が考えていたもの、願っていたものよりもはるかに勝る恵みをいただきました。サマリアの女性は町の人々にイエス様を伝えますが、この大きな神様の恵みを人々に証しせざるを得なかったのです。

ここでイエス様は生ける命の水は聖霊であると語られています(7:39)。この命の水が注がれるなら、イエス様も聖霊と共に生きられたように、私たちも聖霊によって力をいただき、神様の聖さと愛に生きることができるのです。

イエス様の十字架と復活の後、イエス様の言葉を信じて心を合わせて祈った人々の上に、五旬節に聖霊は降っています。それから後、生ける水の川の流れは今も私たちに聖霊を通して注がれ続いています。 

Ⅲ.神のことばに応える

このイエス様の言葉を聞いて、昔の預言者だという人、キリストだという人、キリストではないという人とに分かれて争いが起こりました。元々人の考えは、ばらばらなものです。自分の考えで見定めるのではなく、神様の真実を見ることが一人一人に問われています。

次章のヨハネ8:31・32では「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。』」と言われました。「とどまる」は特にヨハネが用いる大切な言葉です(メノー:新約聖書中112回引用、内ヨハネの文書に66回引用)。口語訳聖書ではつながると訳されていました。

ヨハネ15章のぶどうの木のたとえで繰り返し語られています(メノー:11回)。木を考えてみますと、木と枝がつながることによって、根から吸い上げられたものと葉で作られた栄養分がお互いに行き交います。

ここに命のつながりがあり、愛と喜びの関係が生まれるのです「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。」(15:9~11)。

ヨハネ8:31にある『あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。』を先に引用しました。ヨハネ15章のぶどうの木の箇所と合わせて考えるなら、イエス様にとどまりつながっているならば、私たちはイエス様の弟子とされていきます。

 「神のことば」イエス様と命のつながりを持ち、イエス様の教えに生き、イエス様に従っていきましょう。私たちはイエス様の弟子としてイエス様ご自身を表わしていくのです。

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