聖書各巻緒論(15)
説 教 題:「エルサレム神殿の再建」       井上義実師
聖書箇所:エズラ記1:1~11

 聖書各巻の緒論は第15回となりました。サムエル記、列王記、歴代誌を通してイスラエルの統一王国時代、南北分裂王国時代を見てきました。イスラエルが、指導者である王も、神のものとされていた民も、神様の御心を求めようとしない、神様に従おうとしない、自分の欲や思いを通そうとする人間の姿を見てきました。その結果は、先に北王国イスラエルの滅亡、続く南王国ユダの滅亡バビロン捕囚に至ります。しかし、神様は裁きだけではなく、イザヤ等の預言者によって回復の約束をなされていました(イザヤ44:28、45:1、エレミヤ25:11)

 エズラ記はバビロンからの解放イスラエルへの帰還エルサレム神殿の再建という、神様の回復の約束の成就に当たります。

Ⅰ.基本的なことがら

 著者:一人称で語られている。大きな問題となるものはなく、エズラ記、及びネヘミヤ記はエズラが記したことに間違いはないと思える。
 執筆年代:諸説は有るがエズラのイスラエル帰還が聖書の記述通り前458年として、前440年頃と考えられる。
 大区分:1-2章 捕囚からの解放
     3-6章 神殿再建と奉献式
     7-10章 エズラの活動と宗教改革

Ⅱ.聖書箇所のメッセージ:「キュロス王の命令」1:1~11

 神様はイスラエルに対してバビロン捕囚という厳しい裁きを下されましたが、同時に回復を約束されていました。時が満ちて(歴代誌第二36:21「70年」)、約束の実現へと導かれます。

 神様は異邦人の王、真の神様ではない異教を奉じている王の心を、感動させられて用いられました神様が歴史に直接介入される例を見ます。しかも、ペルシャ王キュロスは不承不承、強いられてではなく、イスラエルの民への積極的な支援を命じています。「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。」(1:5)とあります。

 異邦の王にさえ働かれる神様は、御自分の民の心に聖霊を送って心に感動を与え、実際の力を与えられたのです。リバイバル、信仰復興と呼ぶべき御業です。私たちも良き神様の業のために心動かされましょう。神様の働きのために力強く立ち上がりましょう。

Ⅲ.基本的なメッセージ:「神殿の再建と信仰の再建」

 ユダヤ人はエズラを第二のモーセと呼びます。奴隷の地エジプトから、先祖アブラハムの地、乳と蜜の流れる約束の地へと連れ上る使命を持ったモーセでした。同じように、辱しめを受けたバビロンから、約束の地、聖なる都エルサレムを目指しました。

 2章には、イスラエルに帰還した各支族の詳しい人数が出てきます。彼らは、決して烏合の衆ではなく、自覚的な意識を持ち、神様に従った人々でした。

 3章では、帰還団がエルサレムに到着し、ささげ物が献げられて、神殿再建工事が始まっていきます。神様の前に、賛美と感謝、喜びの声と泣き声が一つになって、大きな叫び声が天に届いていきます。神様の大いなる働きをねたむ者たちが起こってきます。

 4章には悪しき者たちが働いて、妨害がなされていきます。「ユダとベニヤミンの敵たち」(4:1)は、アッシリヤによる北王国滅亡後に国に残ったサマリヤ人たちを指しています。同族でありながらも、南北王国は敵対関係にありました。神殿再建のこの時も変わらなかったですし、ユダとサマリヤの対立は新約時代にも至ります。脅し、買収、偽りの告訴など、執拗な反対を行って工事を中断させたのです。その結果、18年間も工事は止められてしまいます「ダレイオスの治世の第二年まで中止されたままになった。」(4:24)。

 神様は見過ごしておられたのではありません。神様は黙っておられたのでもありません。時を待っておられました。神様はハガイゼカリヤを立て、預言を下され、神の民は再び立ち上がっていくのです(5:1・2)。困難にも関わらず神殿は完成し、奉献式が執り行われます(6:14~22)。

 7章からはエズラによるイスラエルへの第二次帰還、律法の公布、神様の基準に叶うように宗教改革を行ったのです。

 バビロニア帝国のネブカドネツァルによって破壊され、70年間そのままに荒れ果てたエルサレム神殿の復興も急がれました。また同時に、並行して、真の神様への信仰の回復、異教・異邦との訣別が必要とされました。エズラは外なる神殿、内なる信仰の双方を、この時建て上げる務めを果たしたのです。伝承ではエズラはユダヤ教の確立のための働きをなした、旧約聖書の正典化に力を尽くしたと言われています。見えるもの、見えざるもの、外なるもの、内なるものが相応しく整えられて行く私たちでありましょう。