聖書各巻緒論(20)
説 教 題:「神様の良き備え」    井上義実師
聖書箇所:箴言3:1~12

 聖書各巻の緒論として前回の詩篇に続いて箴言を開きます。箴言という言葉は聖書の書巻名以外ではなかなか使われないのではないでしょうか。普通の言葉ではなく、特別に道徳上の、実践的教訓を与える、英知による格言といった意味合いになります。

Ⅰ.知恵文学として

 箴言は、ヨブ記・伝道者の書・詩篇の一部と共に知恵文学に当たります。日本では教訓を記した文書はあるでしょうが、知恵文学に当たる文書はまずないと思います。イスラエルには「知恵のある者」(エレミヤ18:18、祭司は律法を教え、預言者からは神の言葉が、知恵のある者からは助言)が、人々を指導していたことが旧約聖書に記されています。

知恵文学はイスラエルだけではなくバビロン、アラビア、エジプト等、東方では広く編纂されていました。年代もヨブ記は旧約聖書でも古い書物に当たりますし、聖書正典以外の続編には知恵文学は多く含まれています。旧約続編が記された時代は旧約聖書の末期からローマ支配以前のペルシャ支配、ギリシャ支配の時代になります。新約聖書のヤコブの手紙、ペテロの手紙は知恵文学の影響を大きく受けています。ヤコブやペテロがユダヤに生まれて知恵文学の中で育ったからです。東方では広く、時代を越え、地域や文化を越えて知恵は語られていました。

しかし、イスラエルで語られた知恵は、明確に神様に結びついています(1:7本書の中心聖句)「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」。神様に結び付いていますから、この世の処世訓、格言とは次元が違います。イスラエルの知者の中で、ソロモンは特別です(列王第一4:32)「ソロモンは3千の箴言を語り、」。シェバの女王がソロモンの噂を聞き試しにやって来ました(列王第一10章参照)。箴言の著者はソロモンであると最初に記されています(1:1)。本書の最後の2章はアグル、レムエルの名が記されていますが、大部分はソロモンの作と考えることができます。

Ⅱ.主を恐れる者への恵み

 今朝の3章では(5節)「主に拠り頼め」と命じられています。主を恐れることは、主をおじ怖れ、縮こまってしまうことではありません。主を愛し、主に近づき、主に拠り頼み、主に結び付くことなのです。その結果は(2節)「いのちと平安の年月」です。そこには神様と私たちという喜びに満ちた関係が築かれています。概して平均寿命の短かった時代、長寿であること自体が祝福であり、神様にある永遠の命さえも指し示していたのです。神様と結び合わされている私たちが内に持つものは(3節)「恵みとまこと」なのです。「それを首に結び、心の板に書き記せ。」とあるように、常に心に持ち続けることが求められています。いのちと平安の内に歩むこと、恵みとまことに生きることによって、神と人に愛される、賢さを持つ者とされるのです(4節)。

 さらに行く道を主に委ねること(6節)、主の知恵を求めていくこと(7節)、このことによって、健康と肉体が強められて行くことになります(8節)。さらには、財を得ていく(9・10節)という旧約聖書が描くこの世界における祝福を得ていくことができます。人間はこの世の祝福を第一に求めるものです。時には、必要以上にそれらを求めて身を滅ぼしていきますが、神様の知恵を求め、知恵が教える道に歩むことによって、人が求める祝福は付き従ってきます(マタイ6:33)。

Ⅲ.新約聖書に全うされている知恵

 主にある知恵を旧約聖書は伝えていますが、現在、私たちに神様を表されたのはイエス様です(ヨハネ1:18)「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」。イエス様を通して、神様の知恵を知ることが出来ます(コロサイ2:3)「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」

旧約聖書の時代、神様の知恵はソロモンのような特別な人にしか現わされませんでした。「知恵のある者」は神様の知恵を民に説き明かす必要がありました。今はイエス様を求め、イエス様にあるならば、神様の知恵は私たち一人一人に明らかにされていくのです(コロサイ3:9~10)「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」

知恵は知識として頭の中に留まるものではありません。アダム以来の古い人ではなく、イエス様にある新しい人として全人的にその人の内に表わされていきます。神様の知恵は単なる知識や理解を超えて、その人の全てを造り変えていく大きなものなのです。そこに神様の栄光が表わされていくものです。

今や、箴言にあるいのちと平安、恵みとまことはイエス様が備えてくださっています。イエス様に求めることによって与えられます。イエス様にある新しい人は箴言の生き方を全うすることができるのです。この世の祝福を超えた神様の祝福の内に生きる私たちとなりましょう。