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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:宮澤哲男兄  奏楽:藤村陽子姉

前奏                                 奏楽者
開会唱             聖366       聖歌隊
招詞              イザヤ53:7~8  司会者
賛美              新101(聖722)      一同
主の祈り    新826頁       〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条    新826頁       〃
交読文             13(詩篇第34篇)889頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新103(聖437)           一同
合唱              「まずしくあれども」  聖歌隊

聖書              マタイ21:12~17丹羽嘉崇兄
説教              「神殿をきよめる」  井上義実師

祈祷                                  一同

                ー聖餐式ー

賛美              新396(聖581)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷                                  牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

Webコイノニアで閲覧で機内場合はYouTubeでご参加ください。

https://www.youtube.com/watch?v=361wIdnnfJs

※パソコンで再生して下に移動すると映像が追従します

説 教 題:「神殿をきよめる」井上義実師
聖書箇所:マタイ21:12~17

 本日は棕櫚の主日となり、受難週が始まります。イエス様はこの日、子どものロバに乗りエルサレムに到着されました。群衆は「ホサナ、ホサナ、主の御名によって来られる方に。」とイエス様を喜び迎えています。

イエス様はエルサレムをご覧になり、涙されました(ルカ19:41~)。ご自分が十字架に架かられ、死なれるからと言うことではなく、エルサレムが滅びに向かうことに心痛まれたからです。この週、イエス様は十字架に向かわれますが、周囲は何も理解していなかった中で、孤独を感じておられただろうと想像します。

Ⅰ.神殿をきよめられる

 イエス様は、大切な1週間を過ごされるに当たって、まずエルサレムの神殿をきよめられました。ここに出てくるように、神殿には動物のささげものを売る人たちがいました。エルサレムの近くならともかく、遠くから礼拝に来る人たちはささげものの生き物を連れて来ることはできません。献金のための両替商がいました。

神殿の献金にはユダヤの通貨しか使えませんでした。遠く外国からやって来た人たちは困ります。それらは、礼拝のために必要なことでしたが、彼らは神殿での商売で必要以上にもうけていました。もっと悪いことに、神殿の祭司たちは商人たちから高額な場所代を得ていたのです。

 イエス様は神殿に入って、両替人の台をくつがえし、鳩を売る者たちの椅子を倒されました。イエス様は暴力を振るい、物を壊し、売物に実害を与えたのではありません。両替のお金は飛び散ったかも知れませんが、後から拾えます。生き物を逃がされたのではなく、台や椅子を倒されたのですから元に戻せます。イエス様は修復可能な形で留められました。

イエス様は怒りを持たれていますが、イエス様の怒りが第一に向けられたのは、神殿での礼拝を形だけのものにしている祭司長・律法学者たちへの怒りだったのです。神様が崇められる神殿が人の欲で汚されていました。まず神殿をきよめることを、イエス様は最初の働きにされました。

Ⅱ.血潮によりきよめられる

 イエス様が受難週の始まりを、神殿のきよめから始められたことはもう一つの意味を持っています。神殿では動物の犠牲がささげられました。ユダヤの民が罪を償い、自らの汚れを潔めるためにあったことです。また、イエス様は同じ週の金曜日に、このエルサレムで十字架にかかられることになります。

へブル10章は、旧約聖書の規定に従って繰り返されてきたささげものではなく、イエス様が一度だけ献げられて(へブル10:10)、赦しを永遠に完成された(へブル10:14)と記しています。ユダヤの民の罪が赦されるために、旧約聖書によれば神殿の祭壇で動物の犠牲が必要でしたが、私たち全ての人の罪が赦されるために、イエス様が十字架でご自身を献げてくださり、このつぐないによって、神様の救いは成し遂げられました。

2千年前のイスラエルで起こった、イエス様の十字架はどのようにすれば私たちと関わることができるのでしょうか。まるで関係ないことのように思われることも多いでしょう。ヨハネ第一1:7には「御子イエスの血」、同1:9には「罪を告白するなら、…その罪を赦し、…すべての不義からきよめてくださいます。」とあります。

私たちは罪を犯しても、エルサレムの神殿に犠牲をささげに行く必要はありません。この規定がそのままであるならば、私たちには叶えられません。しかし、イエス様は(へブル10:20)「新しい生ける道を開いてくださいました。」とあります。ここに全ての人の罪からの救いがあるのです。神様の側で備えてくださいました。

Ⅲ.心をきよめられる

 旧約聖書の罪の潔めは形だけに成り下がっていました。いくら動物の犠牲がささげられても、ささげた人の心は変わらなかったのです。実りのない、命のない働きが、神殿で営み続けられていました。

神の子であるイエス様がご自身を献げてくださったことは、私たちの心を造り変える大きな、驚くべき働きです(へブル9:14)「まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」。

神様によって、心が造り変えられたならば、礼拝は形ばかりのものになりません。私たちは、感謝と喜びを持って神様に礼拝をささげる者になります。イエス様は神殿を祈りの家と呼ばれましたが、真心からの感謝と願いの祈りを神様にささげることができる者になります。礼拝には神様への感謝と喜びが中心にあります。私たち自身を神様にささげていくものです。

 私の罪を赦し、神様に相応しく潔め、礼拝の民とするために十字架にかかられたイエス様を覚えながら、この1週間を過ごしましょう。

 

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第74回教団総会YouTube 配信のご案内

第74 回教団総会が2024 年3 月20 日(水・祝)午前10 時~午後4時(予定)、神戸中央教会を会場に開催されます。
今回はどなたでも総会の模様をご覧いただけるように、YouTube 配信を行う事になりました。
ご希望の方は、下記にアクセスして、ご視聴くださいますよう、ご案内いたします。