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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:丹羽琢也兄奏楽:松下真由美姉

入堂
静思
前奏                              奏楽者
招詞              詩篇90:10~12司会者
賛美              新1(聖477)        一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             38(詩篇第121篇)910頁(新改訳)〃
祈祷                              司会者

賛美                              新171(聖292)一同

聖書              ペテロ第一4:7~16丹羽嘉崇兄
説教              「主にある成熟」        井上義実師

祈祷                              一同

賛美              新356(聖595)      一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                              当番

頌栄              新63(聖383)       一同
祝祷                              牧師
後奏                              奏楽者
報告司会者

説 教 題:「主にある成熟」井上義実師
聖書箇所:ペテロ第一4:7~16

 

本年も敬老祝福礼拝を迎えることができて感謝いたします。日々、皆様の健康と祝福を祈っています。キリスト者の歩みはイエス様と共にある歩みですし、御言に導かれ、聖霊に照らされています。

キリスト者はイエス様の命によって成長していく歩みですし、特に年配の方であるならイエス様によって成熟していく歩みと言えるでしょう。

Ⅰ.時を経て磨かれる

 聖書の時間の捉え方の一つは、未だ起こっていない未来、やがてなされる終末から現在を見ています「万物の終わりが近づきました。」(7節)。今現在から、これから起こる終わりへと向かうのではなく、終わりから現在を、私たちの感覚から言えば逆に見ています。教会への手紙を書いた使徒のペテロもヨハネも終末を強く意識しています。

終末への備えのためには、何よりも祈りが必要とされています。私たちが神様の前に祈るためには、心も身体も、自分勝手にして良いのではなく、慎み、整えられていくべきことが語られています(7節)。私たちの祈りの時間と、実際の生活は相互に関係して、相乗効果があります。祈ることによって、生活そのものが整えられていきます。

悪い時代の只中であったとしても、賢く知恵ある者として歩むことができます(エペソ5:15~17)「知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。」。特に人生経験を積まれている皆様に、賢く生きる模範を見せていただきたいと願っています。

Ⅱ.賜物が活かされる

 次に賜物を活かして歩むことが示されています。神様は良い霊的な賜物を私たちに備えておられます「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」(コリント第一12:11)。

賜物に関して話をしていて、良く聞く話でありながらそうではないといつも思うことが2つあります。一つは「私には賜物がありません」とおっしゃる方がいます。それは無いのではなく、見出していないということです。もう一つは「あの人は賜物が豊かです。」とおっしゃる方がいます。聞いていてどうも、人間的な能力に優れている人を指しているように思います。そう言えなくはないでしょうが、神様からの賜物とは霊的なものが伴っていなければ空しいものになってしまいます。

聖書が語っています代表的な賜物として、ローマ12:6以下は預言、奉仕、教える、勧め、分け与える、指導、慈善が出て来ます。コリント第一12:4以下には知恵のことば、信仰、癒し、奇跡、預言、霊を見分ける、異言、解き明かしが出て来ます。他にも教会内での職責からの分類があります。よく私の賜物が分かりません、私は賜物を持っていないと聞きますと先に言いました。

全ての人に与えられる、神様の最大の賜物は(ローマ6:23)「神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠の命です。」なのです。私たちはキリスト者の誰もがこの恵みに生かされています。このことを心から喜びましょう。

その喜びは、神様に愛されている者として(8節)「互いに熱心に愛し合いなさい」に至ります。私たちは、年を重ねてできなくなることが順次起こってきます。しかし、イエス様の永遠の命という賜物は変えられることはありません。この神様の愛に生きる賜物は最後まで失われることはありません。私たちは、神様の愛の内に、天に迎えられていくお互いなのです。

Ⅲ.試みさえも用いられる

 一般的に言って、長く生きるということは試練、苦難に出会うことも多くなるでしょう。ここには(12節)「燃えさかる試練」、(13節)「キリストの苦難」という言葉が出てきます。キリスト者として苦難に会うのですかと言わる方があるかも知れません。しかし、驚き、怪しみ、不信感を持つことではありません。ここでは、むしろキリストの栄光が現れるように喜びなさいと言われています。

年をとっていくことは、何を求めて、第一にして生きてきたのか、何を信頼して生きてきたのかが問われることでもあるでしょう。3つ子の魂百までとは良くぞ言っていると思う言葉です。人がもともと持っているもの、培ってきたものは急に変わるものではないでしょう。過去はともかくとして、今日、何を大切にしているかが、これからに表されていくことです。信仰を持って、神様に寄り頼んでいく生き方は、年令も、知識も、持てるものも、何も関係なく、今ここから始めることができます。その人を明らかに造り変えていくことができます。もう既にそのように歩まれている皆様であるからこそ、これからの実りは大きいのです。

 上智大学第2代学長ヘルマン・ホイヴェルス神父「最上のわざ」

「この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和で
あること。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう
『来よ、わが友、われなんじを見捨てじ』と。」

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