招詞  ペテロ第一2:9~10
賛美   新107(聖440) 
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  20(詩篇第57篇)894頁
賛美    新311(聖347)
聖書  エペソ6:10~20
説教  「大能の力をいただいて」 井上義実師
賛美    新458(新514)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「大能の力をいただいて」井上義実師

聖書箇所: エペソ6:10~20 

先週は荻窪栄光教会・船橋栄光教会に与えられました2022年度旧約聖書の聖句イザヤ37:30を開きました。私たちは、コロナ禍の中にあって、教会は1年目・2年目にわずかな働きしかできませんでした。

しかし、3年目には畑に種を蒔き、刈入れ、実った実を食べることを神様に期待しましょうと語りました。今朝は種を蒔き、刈り取り、実を収穫することを成し遂げさせてくださる神様の力を見ていきましょう。

 

Ⅰ.神様の力によって(10節)

私たちは神様が偉大な力を持たれていることを知っています。無から有を生み出されました、天体を正確に配置して治めておられます、地球上に生命の多様性を生み出されました、私たち人間を救いの歴史に導いておられます。…無限の力を持たれています。

もしそれが、ただの力・エネルギーだけであるなら、それは自然というものです、この世界の秩序ですと人は言うと思います。全てを創られた御方、全てを治める御方は人格を持たれています。ご自分が創られたものを喜んでおられるのです。

この御方が全ての冠として創られた人間を愛されています。神様に背き、罪に陥り、滅びる者となった人間に、神様はご自身の独り子イエス様の十字架による救いの道を開かれました。

人が生きていく戦いで、悪との誘惑の中で、罪を犯して、打ち負かされることがないように、

(10節)「主にあって、大能の力によって強められなさい。」

と勧めておられます。

このエペソ人への手紙にも繰り返されています「主にあって」は、直訳すると「主の内に」になります。イエス様とつながること、イエス様の内にあることによって、神様の力は私たちのものとなります。

 

Ⅱ.神様の武具によって(11~17節)

毎日、ウクライナでの戦争の報道を目にし、心が痛みます。しかし、信仰者の戦いは別にあります。目に見えない悪魔との戦いです。悪魔は、闇の世界の支配者で、人格的存在です。目に見えない、霊的な戦いであるからこそ、神様は私たちに神様の大能の力を与えてくださり、武具をも備えてくださっています。

 

1)「真理の帯」:当時の下着は裾の広がった1枚ものです。帯を締めないと動けないのです。何よりも、第一に神様の真理、真実が基にあります

(イザヤ11:3~5)「この方は主を恐れることを喜びとし、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって弱い者をさばき、公正をもって地の貧しい者のために判決を下す。口のむちで地を打ち、唇の息で悪しき者を殺す。正義がその腰の帯となり、真実がその胴の帯となる。」。

 

2)「正義の胸当て」:胴体、体幹、肺や心臓・臓器を守るために神の正義によって、悪の力を防御します

(イザヤ59:15b~18)「主はこれを見て、公正がないことに心を痛められた。主は人がいないのを見て、とりなす者がいないことに啞然とされた。それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を支えとされた。 主は義をよろいのように着て、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。主は彼らの仕打ちに応じて報い、はむかう者に憤り、敵に報復し、島々にも報復をされる。」。

 

3)「平和の福音の備え」:靴のことです。靴がしっかりしなければ機敏な動きはできません。霊の戦いであっても、信仰者は平和の良き訪れを伝えることが第一の目的にあります

(イザヤ52:7)「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神は王であられる』とシオンに言う人の足は。」。

 

4)「信仰の盾」:全身を守る大盾のことです。悪魔は飛び道具の火矢を放ちますが、火矢が私たちを刺し通すことも、燃えつくこともありません

(詩篇35:1~3)「主よ私と争う者と争い私と戦う者と戦ってください。盾と大盾を手に取って私を助けに来てください。槍を抜き私に追い迫る者たちを封じてください。私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ』と。」。

 

5)「救いのかぶと」:大切な頭を守らなければなりません。それは永遠の救いの事実によってです。私たちの救いを、悪魔は最も奪いたいものです

(テサロニケ第一5:5~8)「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのです。しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。」。

 

6)「御霊の剣」:ここまでは防御のための防具でした。ここに、唯一の武器がります

(へブル4:12)「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」。

神のことばとあるように、御言が人を強め正しくし、悪を退けます。マタイ4章の初めに悪魔の試誘(こころみ)と言われる、3つの誘惑がありました。イエス様は全て御言によって、悪魔を退けられています。 神様は私たちの頭の先から、つま先まで、全身を守り、悪魔との戦いに勝利するように備えてくださっています。 

 

Ⅲ.神様への祈りによって(18~20節)

神様の大能の力が、神様による武具が備えられていることを見てきました。なおその上に、御霊による祈りが必要とされています。祈りは、聖霊によって力をいただき、聖霊によって励まされ、聖霊によって導かれます。

聖霊による祈りによって、信仰者の日常が整えられ、力と確信をいただきます。福音書に、イエス様の不断の祈りの姿を見ますが、十字架の前のゲッセマネの園の祈りこそ、イエス様の祈りの頂点になるでしょう

(ルカ22:42~44)『父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。』すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」。

パウロが私のためにも祈ってほしいと願うように、祈りはその人個人の内に働き、他の信仰者、聖徒のために働いていくのです。教会は共同体として、お互いの祈りのネット、網がかぶさっています。お互いを守り、祝福へと導くのです。 

パウロは獄中で、24時間、4名一組のローマ兵に監視されていました。彼らの武装を目にしていました。私たちの戦いは、この世の戦いではありません。霊の戦いに、神様からの大能の力と大いなる武具をいただいており、この戦いに勝利していきましょう。

 

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