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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

司会:阿部修一兄 奏楽:藤村陽子姉

入堂
静思
前奏                                  奏楽者
開会唱           聖366            聖歌隊
招詞              黙示録7:9~10   司会者
賛美              新9(聖ナシ)     一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             43(詩篇第136篇)913頁(新改訳)〃
祈祷                                  司会者

賛美              新177(聖409)          一同
合唱              「主はわが飼い主」       聖歌隊
聖書              ローマ12:1~11  大垣謙人兄
説教              「礼拝を基として」       井上義実師
                聖書各巻緒論45、パウロ書簡1
祈祷                                  一同

賛美              新411(聖568)          一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                              奏楽者
報告                              司会者

聖書各巻緒論45,新約6,パウロ書簡1
説教題:「礼拝を基として」井上義実師
聖書箇所:ローマ人への手紙12:1~11

 聖書各巻緒論は福音書が終わって、前回は使徒の働きでした。次にローマ人への手紙から始まって21通の手紙が続いていきます。最初の13通はパウロが記しています。

Ⅰ.ローマ人への手紙の大切さ(1~16章全体)

 どの手紙も重要性に変りはありません。ローマ人への手紙はやはり、手紙の中で1番目に置かれるに相応しい豊かな内容と言えます。

内容は大きく3区分されます。1~8章が救いについての教理、9~11章がイスラエル問題、12~15章が信仰者の生活の実践、16章は最後の挨拶・感謝になります。第一部の救いについての教え、第三部の救われた者の生活に目が止まりやすいです。パウロが同胞への思いを込めて記した第二部は、どちらかと言えば軽んじられやすいです。

しかし、直近のイスラエル・パレスチナ紛争の勃発で、ここに記されたイスラエル問題を再認識します。神様はアブラハムを選ばれてイスラエル民族を導かれましたが、終末にはイスラエルにもう一度スポットが当たります。一度は失われたイスラエルは、終末に回復されるのです(11:26)「こうして、イスラエルはみな救われるのです。」。

考え方、解釈に違いがあり、相違が生まれやすい部分でもあります。御言に立って、当然のことながらイスラエルも、パレスチナも、アラブも真の神様の元に、救われなければなりません。全ての民に福音が伝えらえた上でイエス様は来られます(マタイ24:14)「 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」。ローマ人への手紙はどの部分も大切な手紙です。

Ⅱ.献げられた者の礼拝の大切さ(12:1~2)

 今朝の箇所は、ローマ人への手紙・第三部の信仰者の生活について語られている箇所の始まりになります。信仰者の生活で一番大切なもの、大原則が書かれている部分です。神様の豊かな恵み、限りない愛を知り、実際に体験しているのは信仰者だけになります。また、イエス様を十字架に献げてくださった、無限の神様の愛を知っている者であります。

この神様の愛に応えるのは、私たち自身を献げることであると語られています。神に献げると言うと、特別な人でなければできないと思われやすいでしょう。しかし、ここでは礼拝を通して私たち自身を献げていくことが記されています。

礼拝を献げることは、年令も、立場も、違いも超えて、全ての信仰者にできることです。真実な礼拝によって私たちは心を新しくされ、神様の御心を知り、再びそれぞれの日常の場、働きの場へと遣わされます。

礼拝は主に呼び集められた神の民が集まるということで、各自で個別にささげましょうということではありません。一つに集まることによってなされていきます。今はオンライン礼拝もできますが、コロナ禍を通して礼拝の大切さをさらに深く覚えます。

Ⅲ.命あるつながりの大切さ 12:3~11

 礼拝によって一つにされ、一つの群れの中にある私たちは、さらにキリストの体の器官の一つ一つであると言われています。体の各器官はそれぞれの使命を果たして、体の機能、健康が保たれていきます。私たちもそれぞれの使命が与えられていて、共に働き、キリストの体を支えています。神様の命のつながりによって一つとされています。

神様の恵み(カリス)によって救われ、召された私たちには、さらに異なる賜物(カリスマタ)が与えられているとあります。同じ語源であることを示したのは、賜物とは自分で努力して得るものではなく、神様から恵みとして与えられるものなのです。ここでは預言、奉仕、教える、勧めをする、分け与える、指導する、慈善を行うことが賜物として出てきます。

この他にも、多数を挙げることができます。そして、賜物を実行する力は9節の「愛」、10節の「兄弟愛」が動力となります。賜物は用いてこそ生きるものです。イエス様が語られたタラントの譬えのように土に埋めていてはいけないのです(マタイ25章参照)。賜物の用い方は3節にあるように思い上がらず、慎み深く用いられるべきです。私たちが召されて、キリストの体に共にあることを大切に受け止めましょう。

 私たちは救われたのは今この時です。神様の恵みによって救われた意義を深く受け止め、キリストの体につながる者として相応しく歩めるように、互いに励まし合いましょう。

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