前奏 奏楽者
招詞 イザヤ40:29~31司会者
賛美 新1(聖477) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 10(詩篇第31篇)886頁(新改訳) 〃
祈祷 司会者

賛美 新101(聖722) 一同

聖書 マタイ22:1~14 油井万里姉
説教 「招かれた者の装い」 井上義実師
祈祷 一同

 ー聖餐式ー

賛美 新372(聖553) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番

頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者

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説 教 題:「招かれた者の装い」井上義実師
聖書箇所:マタイ22:1~14

3月を迎え、4月からの新年度への整えの時期となりました。この1か月は移行期間として大切さを改めて感じています。

Ⅰ.食事を共にすること

福音書にはイエス様が食事をされた席のことが度々出てきます。イエス様は取税人、罪人と呼ばれる人たちと分け隔てなく食事を共にされました。パリサイ人、律法学者から厳しい批判を受けられてもその姿勢を変えられませんでした。確固たるイエス様の信念を見出すことができます。
イエス様が渡される夜、弟子たちとの最後の晩餐は、洗足のできごとも、最後の説教の内容も詳しく記されています。パンを裂かれ、ぶどう酒を渡されたこの夜の食卓での聖餐は、今も教会に生きる私たちに引き継がれています。

イエス様は復活後にも、ガリラヤ湖畔で弟子たちと食事を共にされています。ヨハネの黙示録3:20にはラオディキア教会に宛てられた言葉ですが、イエス様が戸をたたかれ、内からの戸が開かれたならば、食事を共にされることが記されています。私たちへの大切な招きです。聖書では食事をすることがただの肉体の必要ではなく、人格的な交わり、重要なものとして受け止められています。このことから教会で食事を共にするということが大切なことであると言えます。

Ⅱ.食事の宴に招かれる

この聖書箇所はイエス様が十字架にかかられる受難週の火曜日に当たります。本書では21:18~26:5に記されていますが、祭司長、律法学者との長い論争の箇所です。ここは、天国に入るべき人とはどういう者なのかという主題のたとえ話になります。

王が王子のために、荘厳な、豪華な結婚披露宴を催します。賓客が呼ばれますが、彼らは自分の生活のことが大事で、誰も招きに応答しませんでした。あろうことか、何と王の使いを殺してしまいます。王はこの仕打ちに憤って、これらの悪い人たちは滅ぼされました。王は、今度は披露宴に誰でも招きました。大通りで歩いている人たち皆が集められたのです。たくさんの人で席は一杯になりました。

ここまでで、たとえ話ですからその真意は、王は神様、王子はイエス様、使いは預言者や神の人になることが分かります。王の招きを断った無礼な、残忍な人々は旧約の民、ユダヤ人を指しています。神様の祝福はユダヤ人から取り上げられて、良い人も悪い人も(10節)とありますが、全ての人々が集められます。全ての人々を対象にした新約の民、イエス様を信じる人々がこれに当たります。全ての人は神様の祝宴に招かれています。神様は今、全ての人に救いの恵みを用意し、招かれています(ローマ3:21~24)。

Ⅲ.食事に相応しい装い

話はさらに続いていきます。一杯になった客の中に、礼服を着ていない人が一人いました。大通りで連れてこられたのですから仕方ないだろうと思います。しかし、当時の慣習では、王のような人物は招待者の礼服を用意して待っていたと言われます。礼服はすでに準備されていたのですから、それを着なかったのは本人の責任になります。

私たちはイエス様との披露宴に招かれています。同時にイエス様との祝宴に相応しい装いも準備されているのです。それは、義とされる救い以上の恵みが用意されていることを指しています。ローマ6:1~8から分かるように、イエス様の救いは古い命から新しい命に、古い人から新しい人に生きるように備えられています。

この6章全体から、かつては罪の奴隷であったものが神の奴隷となり、「聖潔に至る実を得… 永遠のいのち」(6:22)によって歩むという大きな変革が語られています。救われただけではなく、潔い神様に仕える者として相応しい整えがなされます。

イエス様の救いの恵みによって、神の民とされた私たちに神様は礼服を着させて、神様に相応しい装いを持たせてくださるのです。装いは、外側に着る人に見られるものです。神様によるきよさは、先ずは内面になされますが、外に表れて人に認められるものでもあるのです。

この服は自分で作ったり、買ったりするものではありません。神様はすでに私たちのために、神様の装いを用意されていて、これを着なさいと待っておられます。その人その人に相応しく、寸法も生地も色柄も合わせられており、神様にある美しさがあります。

イエス様が用意された救いは、私たちを罪から解き放つものであり、イエス様の祝宴に着くことができます。神様の祝いの席に相応しい潔い、美しい衣が私たちのために用意され、これを着せられ、神様にある喜びに永遠に与っていくものとされるのです。

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