礼拝開始時間について

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前奏                                      奏楽者
招詞              コリント第二4:10~11   司会者
賛美              新4(聖ナシ)         一同
主の祈り    新826頁           〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条    新826頁           〃
交読文             21(詩篇第62篇)895頁(新改訳)〃
祈祷                                      司会者

賛美              新267(聖466)      一同

聖書              使徒の働き1:12~26沖加奈姉
説教              「神様が働かれるために」井上義実師

祈祷                                      一同

賛美              新394(聖295)      一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                      当番

頌栄              新63(聖383)       一同
祝祷                                      牧師
後奏                                      奏楽者
報告                                      司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

説 教 題:「神様が働かれるために」井上義実師
聖書箇所:使徒の働き1:12~26

 次週は本年のペンテコステ記念礼拝になります。聖書の歴史、救いの歴史において、聖霊が圧倒的に降る大きな節目を迎えます。今朝は、イエス様の弟子たち、信じる者たちのペンテコステへの備えを見ていきましょう。

 

Ⅰ.離れていったユダ

 新約聖書において、イエス様が十字架で死なれた、3日目に復活された、父なる神様の元に昇天された、さらに弟子たち信じる者たちに聖霊が降ったという、短い期間に大きなできごとが立て続けに起こった時期になります。

改めて、イエス様を裏切った12弟子のユダのことが取り上げられています。イスカリオテのユダの出来事は、センセーショナルで昔も今も、小説や映画などで多く取り上げられています。14世紀のダンテの神曲ではユダは地獄の奥底で最も恐ろしい刑罰を受けている姿が出て来ます。

イエス様は何故ユダを弟子に選ばれたのだろうか。ユダの裏切りを分かっていて何故止められなかったのだろうか等、考えていくと疑問はたくさん出て来ますが、私たちの小さな限られた知識では神様の深い御心までは分かりません。

他の11人の弟子たちは地方のガリラヤ出身だが、ユダだけが誇れるユダヤのカリオテの出身でした。ユダは会計を任されており、お金の計算、管理など知的にも優れていたのでしょう。ゲッセマネの園でユダが暴徒の先頭で近づいてきますが、イエス様は「友よ」と呼ばれています。

この言葉はごく親しい間柄でしか使われません。イエス様はユダに対して、万感を込めて友よと呼ばれています。ユダよ、立ち返りなさい、悔い改めなさい、滅んではならないと、イエス様はユダへの愛を最後まで持たれていました。

Ⅱ.加えられたマッティア

 11人となった弟子たちはペテロの提案で新しく1人が加わることになりました。11人いるのなら、1人欠員のままでも良かったのではないかと思います。しかし、神様の働きには必要とされたということでしょう。

士師記19章から最後にかけて、ベニヤミン族のギブアで事件が起こり、ベニヤミン族が怒った他の11部族から滅ぼされようとしたことが出てきます。12部族はベニヤミン族を残すために何とか手だてを考えました。レビ記10章には祭司アロンの息子ナダブ、アビフが異なる火をささげて滅ぼされる記事があります。アロンから始まる祭司はエルアザルが継ぐことになりました。

聖書の歴史を振り返って見ても、人間の愚かな過ち、人間の赤裸々な罪によって神様の働きが止められようとしました。神様はそれらを越えて、次の働きを導いておられます。12使徒には、新しくマッティアがくじで選ばれて立てられました。

Ⅲ.集められていく祈り

 イエス様の弟子たち、信じる者たち120名が一つに集まってエルサレムで祈りました。イエス様の十字架の死、3日目によみがえらえた復活の栄光に出会ってきました。彼らが想像さえできなかった大きな神様の流れの中で、彼らはこの時には十分に理解できなかったことでしょう。

その間に、ユダによる裏切りや滅びという痛みがありました。彼らはそこでばらばらにならずに、一つに集まっていました。私たちは集まって、神様に祈り続けていくことの大切さを見ます。

それまでの弟子たちは誰が偉いのかというような比較をしていました。人間的な考え方から抜け出ることはできなかったのです。イエス様の元に集まってきた人たちも多くの背景を持っていました。集まって共に祈ることは、そのために心砕かれ、心一つにされないとできないことです(エペソ4:1~6)「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。」。

彼らの祈りの上に、神様は聖霊を降され、救いの業がエルサレムから起こり、教会が誕生し、新しい歩みが起こされていったのです。一つに集まり、共に祈ることは教会が一番最初に守るべき基本姿勢なのです。

分断と対立が今の世界であると言われます。国と国、思想と思想、貧困と富裕、支配と被支配と対立が目立ちます。神様はイエス様を中心にすること、聖霊によって励まされること、共に集まること、加えられていくこと、一つとされていくことを求めておられます。対立ではなく一致が、私たちの家族や隣人、周囲から始まるように祈ります。

「アッシジ フランチェスコ 平和の祈り」

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、 永遠のいのちをいただくのですから。

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