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礼拝出席


 

 


 

※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

上記フォームでエラーが表示されましたら、礼拝出席はメールにてご連絡ください。
出席連絡メールアドレス:reihai.ogikubo@gmail.com
メールの件名にお名前のみを記入して、本文は空欄で送信してください。おそらく直ったと思うのですが…(上坂栄太)

司会:久保直基兄 奏楽:藤村陽子姉

入堂
静思
前奏                              奏楽者
開会唱             聖366            聖歌隊
招詞              ヨハネ10:14~16 司会者
賛美              新24(聖479)           一同
主の祈り            新826頁   〃
祈祷唱             聖373(新ナシ)       〃
使徒信条            新826頁   〃
交読文             40(詩篇第126篇)911頁(新改訳)〃
祈祷                                   司会者

賛美              新107(聖440)      一同
合唱              「わたしは聞いた」(ピース)聖歌隊
聖書              使徒の働き20:6~12  油井万里姉
説教              「パンを裂いて、食する」井上義実師

祈祷                                  一同
                -聖餐式-

賛美              新50(聖ナシ)            一同
献金
献金唱             聖378(新ナシ)       〃
感謝                                  当番

頌栄              新63(聖383)           一同
祝祷牧師
閉会唱             聖389(新ナシ)       聖歌隊
後奏                                  奏楽者
報告                                  司会者

説 教 題:「パンを裂き、食する」
聖書箇所:使徒の働き20:6~12

本日10月第一聖日は世界聖餐日です。キリスト教会は教派、教団を越えて一つであるという考えから、この日共に聖餐式を持ちましょうという教会の年間行事です。

プロテスタント教会で聖礼典とは、イエス様が守るように教えられた洗礼、聖餐の2つであるとしています。洗礼は実際の方法で全身を水に浸す浸礼、司式者が水を手に浸して頭に手を置く滴礼の2つに分かれます。私たちの教団ではどちらも認めています。

聖餐は教派、教団によって考え方も、持ち方も幾つもの形態があります。理解に幅があり、形式が違う聖餐を、それらの違いを越えて世界中で聖餐を共にしましょうという世界聖餐日は大きな意味があります。

Ⅰ.初代教会から続いている

 今朝の聖書箇所として開かれてきました使徒の働き20章は、パウロの第3次伝道旅行の帰路に当たります。さらに、読んでいただいた6節以下は、パウロがマケドニアのピリピから船出して、小アジアのトロアスに着いた箇所になります。パウロはこの町に7日間滞在し、語り続けました。その集会は7節「パンを裂くために集まった」とあります。

使徒の働き2章は、聖霊が降ったことによって弟子たちはイエス様の福音を大胆に語り始め、エルサレムに教会が誕生したことを記しています。この2章には、2:42「使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」、2:46「家々でパンを裂き」とあります。

ここで、「パンを裂き」という言葉は聖餐式を表しています。聖餐式は教会の始まりから行われ、続けられてきました。ここで「パンを裂き」としか出て来ませんから、ぶどう酒はなく、パンだけですかと問われることでしょう。

コリント第一10:16には、「私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。」とあります。イエス様の御体を表すパンと共に、御血を表すぶどう酒は一つなのです。

Ⅱ.主の御体、主の御血による

 「パンを裂く」とは聖餐式を表していますと言いました。イエス様の言葉からも、パンが聖餐式の象徴になることが分かります。

ヨハネ6章では、イエス様は5千人の給食から天からのまことのパンの話をされました。この時、ユダヤ人たちは先祖が荒野の旅で食べたマナを引き合いに出しました。モーセに率いられた荒野の旅路で、天からのマナによって養われたことは、確かに大きな奇跡でした。しかし、天からマナが降ったのは、限られた期間、限られた人々に対してでした。

イエス様はここで「わたしはいのちのパンです。」と繰り返されています。イエス様は、私たちの完全な救いのためにささげられた、ただ一つの「いのちのパン」なのです。続いて、イエス様はさらに詳しく、私たちのためにささげられ、私たちが食し飲むものは、ご自身の肉体とご自身の血であることを明言されました。

ヨハネ6:54・55「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。」との言葉です。神様の命を得るのは、イエス様がやがて十字架にかかられ、十字架によって裂かれる肉体、十字架によって流される血潮をいただくことによってなされるということをあらかじめ伝えられました。

Ⅲ.喜びの交わりに導かれる

 使徒の働き20章にはトロアスの集会の最後の夜、ユテコという若者が3階から転落して、事故死することが出てきます。パウロは、昔の主の預言者のように、この死んだ若者を抱え上げて復活の奇跡を表しました。

パウロの出発の日が悲しみの葬儀になる所が、死から命によみがえったという感謝と喜びの日に変わりました。このできごとの後も続いて集会は行われ、「パンを裂き」(聖餐式)も執り行われました。この集会において、聖餐式において大きな神様への感謝と賛美がささげられたことでしょう。

ここまで「パンを裂き」(聖餐式)を見てきましたが、聖餐はイエス様の救い、神様の愛を喜び、祝うことを教えられます。聖餐式はイエス様の十字架の受難、受苦とつながっていますから、私たちも痛みをもって受け止めるという面が強くあります。イエス様の十字架によって救いが成し遂げられ、神様の愛が表されたということでは私たちは心からの感謝と喜びを持つ者です。

この夜のトロアスの集会は、イエス様の十字架による救いが心の内になされた喜びと、死から命に移された若者を喜ぶ祝いとなりました。それは、聖餐式に相応しいものであったのです。

聖餐に与ることは私たちの救いの感謝、罪の赦しと潔さに与る恵み、神の民とされた者の交わりの確認、奉仕と献身に導くものです。聖餐式は教会の内側を強くし、教会の外側へと宣教の働きを進めていく力となっていきます。

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