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※4人目以降は、3人分を送信後に再読み込みして記入してください

前奏 奏楽者
招詞 マタイ11:28~30 司会者
賛美 新148(聖622) 一同
主の祈り 新826頁 〃
祈祷唱 聖373(新ナシ) 〃
使徒信条 新826頁 〃
交読文 28(詩篇第91篇)902頁(新改訳)〃
祈祷 司会者

賛美 新348(聖729) 一同

聖書 マタイ28:16~20 松下真由美姉
説教 「共におられるイエス様」 井上義実師
聖書各巻緒論40・新約1・福音書1
祈祷 一同

賛美 新402(聖723) 一同
献金
献金唱 聖378(新ナシ) 〃
感謝 当番

頌栄 新63(聖383) 一同
祝祷 牧師
後奏 奏楽者
報告 司会者

※パソコンで上の動画を再生して下に移動すると、右下に追従します

 

説 教 題:「共におられるイエス様」井上義実師
聖書箇所:マタイ28:16~20

4月からは新年度の教団聖句・教会聖句からのメッセージ、教会暦からのメッセージ等を語ってきました。間が空いて、忘れられているかも知れませんが、聖書緒論を再開します。

年度末の3月26日に旧約聖書39巻最後のマラキ書を終えています。今日から新約聖書に入っていきますが、他のテーマと共にゆっくり進めていきます。今日は、中田師・森山師召天記念礼拝ですので皆様の心に新たにしていただければと願っています。

Ⅰ.マタイの福音書の概観

 新約聖書の第1巻マタイの福音書からです。4つの福音書の中でマタイ福音書をどのように受け止め、どのように感じておられるでしょうか。私は他の福音書と比べて、秩序正しく整然とした印象を受けます。

旧約聖書からの引照は4つの福音書の中で最も多く、旧約の民・ユダヤ人に向けて記されていると言ってよいでしょう。冒頭の1:1「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。」とあります。ユダヤ人の父祖アブラハムに始まり、ダビデの末からメシアが生まれると言う、預言の成就がなされたと語られています。

著者はかつて取税人であったレビが、イエス様に召されてマタイと改名し、この働きを担いました。不正な取り立てを記していた者が、真理の御言を記す者となったということは、何と大きな変革ではないでしょうか。マタイの福音書が何時頃書かれたかは諸説があり、A.D.50~70年と幅があります。

Ⅱ.共におられるという臨在

 マタイ福音書の特徴は多々あります。今日は、イエス様が共におられる、臨在の主であるということが示されてきました。イエス様の誕生前、養い親となるヨセフに語られたのは1:23「その名はインマヌエルと呼ばれる。それは訳すと『神が私たちとともにおられる』」との言葉です。

イエス様が誕生されたのは、神様が目に見える形でこの世に来られたということだけではありません。神様が共におられるという大きな恵みが実現されました。

中間に当たる18:20には「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」とイエス様は語られました。この箇所から少し戻ります16:18では、イエス様は「そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」とペテロに言われています。

18:20にある「二人か三人」という交わりは教会の集まりを指しています。教会の真中にイエス様は臨在されるという約束なのです。

本日の聖書箇所である28:20には、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」とあります。永遠に至るまで主の臨在があるという大きな約束が語られています。この世に生きる私たちに、これ以上の励まし、力付け、慰めはないでしょう。イエス様が片時も離れずに共におられ、私たちのために働いてくださっているのであれば、私たちは何も恐れるものはありません。

Ⅲ.旧約聖書の臨在、新約聖書の臨在

 旧約聖書の神様の臨在は各所で表されています。荒野でイスラエルの民を導いた雲の柱・火の柱、神様の栄光が満ちていた会見の幕屋、イスラエル王国時代のエルサレム神殿の聖所にも同じく神様の栄光が満ちていました。さらに広く考えると、度々表された大きな奇跡がありました。

これも神様の臨在のしるしでしょう。預言者や、様々な形での人々への語りかけが神様から直接にありました。これも臨在あってです。しかし、それら全ての対象はユダヤ人のみであったのです。

 新約聖書の神様の臨在はイエス様によって現されました。イエス様は、先ずはユダヤに現れましたが、こともあろうに、彼らはイエス様を十字架に架けて退けてしまいました。しかし、このことによって、全ての人への救いが表されたとは何と皮肉なことではないでしょうか。

イエス様は復活され、その後、昇天されました。これらのことによって、イエス様は今、私たちにお姿は見えなくとも全ての人の心の内に働きかけられ、ご自身を信じた者、受け入れた者と共に歩み、内に住みたもう御方となられたのです。

 私たちへのこの大いなる恵みはイエス様の昇天以降、今も確かなものです。故中田羽後牧師、森山諭牧師を力強く生かしたものは共に歩まれた臨在の主です。このことに間違いはありません。

私たちの現実にも、主は共に歩まれ、主は心と魂の内に住まっておられます。天国に行かなければイエス様に会えない、神様の愛に包まれないと言うことではありません。私たちは何時も、イエス様と出会っているばかりか、この御方は私の内におられるのです。このことが事実であると聖書は言います。

イエス様が共におられること、私の内に住んでおられること、このことを認め、信じるならば、苦しみや困難があったままでも、私たちの人生は全く変わります。 私の内におられるイエス様から力、命、喜び、感謝、全ての良いものをいただいて歩みましょう。

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