招詞  詩篇96:1~2
賛美   新1(聖477)
主の祈り  新826頁
使徒信条 新826頁
交読文  13(詩篇第34篇)889頁
賛美   新107(聖440)
聖書   詩篇84:1~12
説教  「神様からの油注ぎ」井上義実師
賛美    新396(新581)
頌栄  新63(聖383)
祝祷

説教題:「神様からの油注ぎ」井上義実師

2022 年度最初の4月第一聖日・創立記念礼拝を迎えました。駒込で始まった日本イエス・キリスト教団東京教会(旧称)としての 1958 年 4 月20 日の礼拝以来、64 年となります。世界を巻き込んでいるコロナウイルス感染も収束には未だ至っていません。

火山噴火、地震、大雨、大雪等の自然災害は多発しています。ロシアによるウクライナ戦争も終結に向かうには厳しい状況です。マタイ 24 章の「世が終わるしるし」は私
たちの意識の中にあります。終末が近づいているのであれば、救いの完成であり、また永遠への希望も近づいているということです。

荻窪栄光教会、船橋栄光教会、両教会では中島秀一先生・きよ子先生は新しいお立場に変わられ、栗本高仁先生・佐和先生をお迎えしました。私たちの教会は新しい体制で、勇気と力をいただいて、進んでいきましょう。

Ⅰ.礼拝者の願い

詩篇 84 篇は、神殿での礼拝を慕い求め、旅路にある巡礼者の詩篇と言えるでしょう。神殿でささげられる公的な祭、個人的な礼拝のために神の民はエルサレムを目指しました。詩篇では特に 120~134 篇までの15 篇は都上りの歌と題されています。

今、私たちにとって礼拝は日曜日の午前のひとときにささげられています。特に、今はコロナ禍にあって、全員が共に集うことが難しい状況が続いています。インターネット配信で、礼拝を自宅等でささげておられる方も多くあります。

エルサレムへの巡礼者の時代、初代教会以来の聖日に教会で集まる礼拝、インターネット配信でささげる礼拝、礼拝を巡る環境は大きく変わりました。時代や状況が変わり、礼拝を巡る形態が変わっても、礼拝の精神は決して変わらないのです。

礼拝の対象は真の神様であり、この御方が礼拝にご臨在されます。礼拝をささげる私たちは、謙りと献身をもって進み出ます。神様は御言を通してお語りくださり、賛美と祈りをもって私たちは応答します。神様は栄光を表わされ、私たちは感謝と力に満たされてこの世へと遣わされていきます。

礼拝の精神に立ち続けなければ、礼拝そのものが変容、変質していきます。神様の恵みは変わることなく注がれていますが、改めて、私たちが真の礼拝を守り抜いていくという危機感さえ持って、この 1 年を過ごしていこうではありませんか。

Ⅱ.礼拝者の祝福

この詩篇は真の神様を慕い求める礼拝者を描いています。3 節に「雀、燕」が出てきます。彼らは野鳥でありながら人間の社会・生活と深く結び付いています。雀も燕も身近な生き物として古今東西、たくさんの物語で親しまれています。

舌切り雀や、幸福な王子を思い出します。雀も燕も、人間なくして生息はできないのです。信仰者も神様に結び付いている者です。神様への礼拝なくして生活することはできません。

6 節「涙の谷」は渇ける谷と訳す聖書もあります。泉の湧く所、初めの雨(パレスチナで 10・11 月に降る秋の雨で麦の生育に重要です)とあるように、乾燥・干ばつによる飢饉ではなく、恵みの雨で地は潤い、作物が豊かに育つことを意味しています。

礼拝者は現実の生活で神様の恵みにより祝福をいただくものです。同時に、礼拝者は 10 節に「あなたの大庭にいる一日は千日にまさり」、「悪の天幕に住むより」「神の家の門口に立ちたい」と言っています。

悪に近づいて目先の利益を得るよりも、神様にあることが損と思えても魂の平安、信仰の豊かさを持つことができます。礼拝者は礼拝を通して、心と魂に祝福を受け続けていくものです。

Ⅲ.礼拝者への油注ぎ

9 節「あなたに油注がれた者」とあります。「油注がれた」はメシア(新約のキリストにつながる)が使われています。旧約の時代、祭司、王、預言者に特別な任職の油が注がれました。

本日は伝道師任職式、教会役員任命式、勧士任命式があり、17 日は CS 教師任命式、聖歌隊任命式を行います。各任命式に立てられている方々も、神様からの油注ぎを受けて任命されるのです。私たちは受任される方々の信仰・霊性が豊かにせられ、奉仕の祝福のために祈る者です。受任される方々には神様からその働きを成し遂げていくための特別な油注ぎがあります。

また、私たち信仰者全ては、聖霊によって油が注がれているものです。

(コリント第二 1:21・22「私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。」)

私たちは聖霊の宮(コリント第一 6:19・20「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」)

として聖霊を内に宿すものです。私たちは聖霊によって神様の真理を知るものです。

(ヨハネ第一2:27「しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。」)

私たちは聖霊によってキリストの心を持つことができます。

(コリント第一 2:12~16、16 節「『だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。』しかし、私たちはキリストの心を持っています。」)。聖霊によって実を結ぶ者です(ガラテヤ 5:22~25、22・23 節「 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」)

私たちは聖霊によって養われ、整えられ、聖なる者とされてこの世に遣わされる者なのです。私たちはこの世から選び別たれ、毎週の礼拝をささげる巡礼者とされています。聖霊によって油注がれている者として、聖霊に満たされてこの世に遣わされていきましょう。

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